オタクになれなかった劣等感

えー、明けましておめでとうございます(は?)
今回は唐突にオタク語りというか自分語りしたくなったので書きます。勢いでつらつらだらだら書いてくので文章変かも。大目にみてね。さて、オタクを楽しんでる人が多い時代にオタクになれなかった劣等感を吐き出すぜ…!(ネチネチの実の能力者)

(自分オタクっぽいな)って思った初期の記憶って小中学生の頃かな。ジャンプフェアきっかけで初めてアニメイトに行ってそれから通うようになったり、ゲーマーズとかまんだらけにも足を運ぶようになった。三宮のゲーマーズがまだ地下のいかにも怪しいとこにあった時代。携帯も持ってなかったのか別のオタクショップも行き来して特典比較しながら「らいむいろ戦奇譚」っていうえっちなPS2ゲーム買って、懸賞で当てた興味もない野球Tシャツを腕捲りして背負ったリュックから特典ポスターをはみ出させて三宮を練り歩く…そんな終わってるテンプレキモオタキッズだった。

アニメディアの水着ピンナップに異様な性的興奮を覚えて買ったり、まだ「鋼の錬金術師」が連載開始する前から月刊少年ガンガンを買ったり、増刊のパワード買ったり、全員サービスで萌えアニメ(死語)のドラマCD買ったりしてた。

声優ラジオも聴くようになった。アニメディアで放送情報調べて100均のラジオで必死に電波とってた気がする。当時は今ほど声優が一般的な存在でもなくて、アニメ観て声優にまで興味持つかはオタクと一般人を分ける一つの基準だったと思う。

中学生の頃に「電車男」が大ヒットした。一般人がオタクを笑う側として見ていたけど、自分はオタク視点で見ていた。

高校受験で一旦離れた辺りから、アニメを見なくなった。高校時代はまったくアニメに興味を無くして、貯まってたアニメイトのポイントも無駄にした。その時期深夜アニメの変革期で、本来なら「ハルヒ」「らき☆すた」「コードギアス」辺りの歴史に刻まれる名作をリアルタイムで楽しめる貴重な機会をドブに捨てた。今でも当時の自分を恨んでいる。

大学には行かなかった。高卒。当時は俳優とか声優に成りたくて、バイトしてオーディション受けようと思ってた。だけどそもそも社会不適合者すぎてバイトが上手くいかず、クビになり、引きこもりになった。
アニメ熱が再燃した。派遣バイト、単発バイトのようなものを気まぐれにやって、給料をアニメグッズ等に使うようになった。暇だから徹夜してでも片っ端から放送されるアニメを観て実況したり、録画した。深夜アニメを観てそのまま起きて朝の女児アニメも観るみたいな。
録画も三番組くらい時間帯が重なったりするし、容量が足りなくなったりして、放送リアルタイム中も他の録画されたアニメを数分観ては消しながらギリギリで容量を確保する自転車操業のようなこともしていた。

一番お金使ったのは「けいおん!」だった。ローソンのコラボに朝から並んで争奪戦を制して限定グッズをほとんど買い揃えた。映画の前売り券にも並んだし、実際観に行くときも当時はムビチケじゃないからまた朝から劇場に直接行って確実に最速回の席をとって毎週変わる入場者特典を手に入れる準備をしてからバイト行く…みたいなめちゃくちゃな生活してた。

だけどいくら情熱を傾けても、所詮はバイト代なんて雀の涙で、CDも揃わなかったし、ライブも行かなかった。まあ他の部分で金の使い道考えれば何とかなったのかも知れないけど、当時は他のアニメとか漫画も中途半端に買ってたし、欲を満たすには余りにも不充分な稼ぎだった。

バイトを辞めて、残った給料をすぐに食い潰して、ひたすらアニメ実況&録画、後は今となってはバカげてるけどまとめサイト見たりを繰り返した。とうとうバイトすらしない(出来ない)完璧な引きニートになった。

それでも当時のインターネットやオタク文化のノリって
「働いたら負け」
「リア充爆発しろ」
「あずにゃんぺろぺろ」
みたいに退廃的で変態的で負け組賛美で呑気なとこがあったから自分に優しかったし居心地が良かった。

自分で「自分オタクだったな」と思えるのは2012年までが限度だと思う。


2013年か2014年あたりに状況が変わってきた。
まずHDDがパンパンになって録画出来ない、録画しても見切れないという状況が続いたうえ、録画機が壊れた。録画が出来ないと見逃しが増え、視聴習慣が崩れ、毎期アニメを何本も見るオタクという自分のアイデンティティが崩壊していく。取捨選択が苦手で、諦めも悪いから、観る作品を絞ることも出来ず、中途半端に観て最後まで観てない作品が多くなった。収入もないから買った漫画も続刊購入出来ず、途中で止まってばかりだった。今ほど見逃し視聴や電子書籍が充実して普及してる時代でもなかったのか、自分が乗り遅れてたのか。
時を同じくして、Twitterの交遊関係も変わっていった。面白いオタクに認められたい、オタク友達が欲しいって変な欲を出して、それまでより積極的に他のオタクと絡むようにした。声優ファン的な人と多く絡むようになったんだけど、結構なカルチャーショックを受けた。それまで自分の中でのオタク像って「引きこもりがちで人畜無害」「オタクであることを自虐・自嘲しているが作品に救われていて愛情が深い」「性欲の対象は二次元がメインで現実の女性には興味ない」みたいなイメージだった。
でもその当時絡んでた人たちは全然そんなことなくて、声優ライブに通って集団で盛り上がって他のオタクとコール云々のマナーで揉めて「在宅」オタクを叩いたり「女オタクと繋がりてー」って言ってる感じ。
自分が思ってたオタク像と180度違うくらい違ってた。それでも当時は他人を尊重して理解して自分も受け入れてもらえる人間になろうみたいな意識の高さがあって無理して頑張ってた。そのおかげで結構影響受けたし黒歴史も増えた。だけどまあ根っこが違うんだから本当の意味では馴染めなかったし、なにより攻撃的で争い事ばかりのタイムラインに耐えられなくて鬱になってTwitterからも逃げだした。我ながら他人のせいにしすぎなことは自覚してる。ただ、この辺りの頃から年々加速度的に「オタク」が何なのかマジで分かんなくなってきた。
実際Twitterの規模の変化とオタク文化の変化ってかなり連動してると思う。
Twitterの規模が大きくなるまではテレビや雑誌、2ちゃんねるやまとめサイト、実体験などでオタクを理解していた、というか理解出来ている気がしていた。だけどオタクも細分化されて、他のジャンルやコミュニティや個性のオタクへの嫌悪感、そこから発生する争い事みたいなものも表面化するようになった。全然一枚岩じゃないし同志でもないって現実が見えるようになった。
オタクの中にカーストも出来てきた。Twitterで画像の貼りつけが簡単に出来るようになってから、二次創作イラストレーターやコスプレイヤーの地位が高まってきた。棘のある言い方すると、幅きかせてるなと当時は感じていた。そういう人達が公式・商業の側に仕事を貰うようになったり、それ以外の人達でも聖誕祭で祭壇作るとか痛バ作るとか推し活するとかオタク文化も「映え」てナンボ、バズって影響力持ってナンボって流れが生まれてた。
声優も地位が上がり、週刊誌に狙われたりスキャンダルが多く流れるようになった。結婚するのもタレントや野球選手など、それまで聞いたことないようなパターンが出てきた。名声がある社会的地位の高いタレント的な、かつてのオタク文化圏とは住む世界が違う感じの相手。
考えてみれば子役出身やアイドル出身の人も多いのが声優業界だから「声優なんて元々芸能人じゃん」と言われたらそれまでなんだけど、声優という職業自体が昔はもっと世間的に舐められてたし、だからこそ弱者であるオタク文化と相性良く表面上だけでも共存共栄してたんだろう。2010年代に「声優ってめちゃくちゃ競争勝ち抜いてる強者の側じゃん」って現実が如実に表面化していった。

無職やクズに関しても、昔のインターネットやオタク文化ではある種ステータスくらい優しかったけど、どんどん当たりがキツくなっていった。社畜ネタが流行ったり、オタクが経済回してると喧伝し始めた辺りから「金を生まない無能を許すな」という圧力を感じるようになり、個人的に相当苦しかった。

「何者でもない」オタクなんてオタクじゃない雰囲気が出来ていった。生産者か出資者になれないと居場所がなくなっていった。  

こんな感じで2013年から2018年辺りは、Twitter中心にインターネットを見るようになってどんどん他のオタクとの違いが浮き彫りになって居心地の悪さを感じて孤立感が高まっていった。自分にとってオタクであることを諦めるしかない、アイデンティティも帰属意識も捨て去って社会に適応するしかないと薄々感じてはいるものの、オタク文化という居場所を追われて放り出されたら本当に何も持っていない裸の無能だという現実が恐ろしくて目を背けていた時期かもしれない。

Vtuber初期のブームに自分がのめり込むのも、変化するオタク文化に置いていかれてる焦りを感じていたこの辺りの時期だったな。初期のVtuberはオタク文化の延長上で新しいコンテンツが生まれてるワクワク感がすごかったし、スマホで視聴してTwitterで呟いたりするだけで良かった、無職の僕でも楽しめるくらい趣味(視聴者側)としての参入障壁のようなものがあまりないブームだった。

2019年辺りからは、長引く引きこもり生活と世の中の変化のスピードもあって溜まったストレスが爆発して鬱病になって、オタク趣味どころではなくなった。そんな僕を尻目にコロナ禍はオタク文化を急速に一般化させて概念自体を塗り替えた。主に鬼滅の刃とネットフリックスの影響だと思ってる。
個人的にコロナ禍で学んだのは結局現実には勝てないし、現実あっての趣味や文化ってことだ。
コロナ禍にアニメがまともに制作出来ない、放送されないってことが起きたり、一般人や芸能人がドサーッと流れ落ちるようにTwitterやYouTubeに流入したりしてカオスになった。陰と陽みたいな区別が無くなったというか、前から境目がじわじわグラデーションぽくなってたけど一気にかき混ぜられた感じがした。サブカルチャーってメインカルチャーが健全に機能しないと成り立たないんだってことを思い知らされた。

健康のこともある、若い頃はオタクコンテンツに向き合う時間が命より大事と思ってたけど、命あっての物種という言葉が身に染みるようになった。健康じゃないとアニメも見れんしオタク文化も維持されん。

現実社会の状況次第で常識なんて変わる、掌返しの恐ろしさも知った。
僕はニートだし強迫性障害だったりするんだけど、手を洗うことや消毒が迷惑がられてたのに急に推奨されたり、皆が働けないからって急に「仕事が全てじゃない」って言い出したりした。引きこもりにも優しくなった。インターネットやバーチャルやオタク文化が外出自粛の影響で持て囃された。芸能人は無観客状態が続くと「お客様あって自分達が存在できる」みたいなありがたさを語った。

けどその流行りが終わる時は一瞬だった。外出出来るようになったら皆引きこもり生活より外に出ることを喜んで、無職や潔癖症はまた笑い者になったり責められたりして、芸能人とか推される立場の人は負け組一般人バカにしたり「お客様は神様じゃない」とかヒステリックに説教するようになった。

そんななかでオタク文化や推し活文化は定着して生き残った。元々コンテンツが持ってた底力、クオリティーの高さはあると思う。ただ、仕組みそのものを一般人に寄せたのもデカイ。この辺の文句は過去記事で散々書き殴ったから興味があればそっちを読んで欲しいんですけど、Vtuberにしろアニメにしろ声優にしろインターネットにしろ、ターゲット層を変えてより社会的な方向へ走ったと感じる。
誰でもオタクになれる時代だけど、誰でもって言うのは「(社会性があれば)誰でも」で、かつての社会不適合者だけで集まって内輪ノリで傷舐め合ってワイワイやるオタク文化とは対極的な仕組みになった。
社会性ない、社会的信頼一切ない僕に居場所なんてない。今のオタクにゴミクズ引きニートの僕が近づくことは許されない。自分はもうオタクでも何でもない。



…とかまあやたらと自己憐憫と他責思考にまみれた主観をだらだら書いたのは何故かってことなんですけど、単純に最近世の中の文化変遷やらその時々の自分の選択の反省にハマってるんですよね。未来に期待が持てないから、過去のやり直しを脳内で遊んでるみたいな。タイムリープなろう系ごっこみたいな?言うてなろう系どっちかというとハマりにくい方ですが。思考の整理になるし、自分が好きなものと嫌いなものがはっきりしてくるメリットもある。

最近思うのは現実逃避のツケが回ってきたんだなってこと。よく「○○(作品)から○(数字)年」みたいなのあるじゃないですか。あれ系は定期的に確認しといた方がショック受けづらいし、現実を受け入れやすくなると思う。僕は最近ようやく栄枯盛衰を受け入れる体勢のようなものが出来てきました。
自分がオタク文化に傾倒したのも2012年辺りまで、主に平成中期のオタク文化と自分の感性や当時の年齢が合致していたから。逆に言えば時代が見せた夢幻に踊らされすぎた。


オタクとしての生活が詰んだのも考えてみれば当たり前「金の切れ目が縁の切れ目」になるコンテンツに依存してたから。
たらればですが、もし自立出来ていれば色々なことに自己決定権が働いていただろうし、現実社会で他人との交流も生まれるからTwitterに依存して過度に影響受けたりせず、時代の変化にももっと早く気づいて対応出来てたのかも知れません。
マジでたらればですが…。
多様性だなんだと言ったって結局どこに行っても空気読んでコミュニケーションする能力と収入は大事なんだ…。

結局充実したオタクライフなんて叶わなかったけど、自分がまだ「その域に達していない」という事実に遅ればせながら気づけたわけだし、もうそれでいいやと思っています。

何もかも諦めると、逆に老人会がすごく貴重な楽しみになる。
Vtuberの文句ばっか言ってて引用するのは気が引けるけど、こういうトークにエモを感じてしまうんだよな…

というわけでおじいちゃんの昔話でした。おしまい。

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