マシュマロのプチピボット
マシュマロ、実はちょっとだけピボットしてる
今でこそ方向性で迷うことはないが、リリース時からそうだったわけじゃない。大まかな仮説をもとに、様々な部分があやふやまなままでスタートした。
匿名質問サービスの課題
ザ・インタビューズやAsk.fmの栄枯盛衰をリアルタイムで追ってた僕は、匿名質問サービスの抱える大きな課題を肌で感じていた。それは「ユーザーが増えると悪意ある投稿によって文化が崩壊する」というものだ。これによって匿名質問サービスは盛り上がっても盛り上がり切らず、縮小する宿命にある。
ザ・インタビューズもAsk.fmも好きだった僕は、この課題をどうにかクリアできないものかとずっと考え続けてきた。
質問サービスとしてスタート
この課題に対して、「AIを使って悪意ある投稿を弾く」というソリューションを考えた。そして「匿名なのに悪口が来ないというのは、UX的にすごいんじゃね?」という仮説を立てた。
この仮説が正しいとなれば、そういう仮説に基づいたサービスはあまりないので、これはいわゆる「起業家だけが知っている秘密」となるだろう。その秘密を探るためだけでもマシュマロを作る価値がある。そう考えた。
マシュマロはそんな流れで作られたので、当然ながら質問サービスとして始まった。
幸福の最高到達点はどこにある?
マシュマロをリリースすると、そこそこ使われた。それはつまり、観察対象となるユーザーを多く獲得したということだ。これは非常に重要なことだ。
Web界隈でカジュアルに使われている、リリース前に「ペルソナ」を定義する手法を僕は信用していない。「インサイト」と称した決めつけを加速させてしまうので、往々にして爆死要素となる。バイアスにまみれた人類にペルソナは早すぎる。
だから僕は基本的に、とりあえずリリースしてユーザーに使わせ、それを観察するスタイルだ。
そうやって観察して、気づいたことがある。初期のマシュマロは質問サービスだが「質問やメッセージを送信しましょう!」というやや曖昧な表現をしていたので、質問だけでなく様々なテキストが送信された。その中でも受け取ったユーザーを特に喜ばせていたものは何かを観察したところ、それは質問じゃなかった。何らかのコンテンツへの感想だった。
コンテンツを発信する人がマシュマロを設置し、そこに匿名ならではの素直な感想が集まる。この流れこそ、マシュマロユーザーを幸福の最高到達点に導くパターンであることが多かった。
質問という檻
幸福の最高到達点をもたらしてくれるメッセージには、共通点があった。多くのメッセージに「質問じゃなくてすみません」と書いてあったのだ。「質問」を掲げていたので、多くのユーザーがコンテンツへの感想を述べることに抵抗を感じていたようだった。
そこでサービス内から「質問」という単語を完全になくしてみた。単に「メッセージ」とだけ表現した。質問特化は質問箱があるし、マシュマロでは質問を捨ててしまってもいいと思った。「質問」という誰でもそれなりにコンテンツを生み出せるようにするものより、誰かを確実にがっつり幸福にする道を選んだ。
ドメインに "qa" が残ってしまっているけども。
そして得たもの
質問サービスとしての顔を捨ててしまったら、「質問じゃなくてすみません」という感想は随分と減った。つまり、「質問じゃないから」という理由だけで控えられてしまった感想が、ちゃんと送られるようになったということだ。それはきっと、誰かの幸福の最高到達点をもっと高くしたかもしれないし、幸福になる人を増やしたかもしれない。
また一方で、「質問」を打ち出さなくても意外と質問のために使われるという誤算もあった。「メッセージ」と表現することで自由度が高くなっただけで、質問を阻害する要因にはなっていなかったのだ。
そうして自由度が高まったマシュマロは、なぜかVTuberに使われ始めた。そして突如として独自文化が花開くことになるのだが、それはまた別の機会に。