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「ゾーン」を知ると羽生結弦が表現したい世界が見えてくる。

羽生結弦,内村航平対談で語られた「ゾーン体験」が「魂の探求」とつながった。

2023/01/16にUPしたYoutub動画の文字起こしに加筆修正を加えました。

 皆さん、こんにちは。
 今日の話は、1月14日のBSフジで、内村航平さんと羽生結弦さんが対談で語った「ゾーン体験」の話にめちゃくちゃ驚きまして、もうこれを語らなくてどうする!と思ったんですね。
 なぜかと言えば、まさにこのテーマが、私自身「30数年追いかけてきた謎」の解明に繋がる話であり、チャンネルを作った目的、ライフワークにしてきた「魂の探求」であり、残りの人生をかけて取り組みたいと考えていた「魂の探求シリーズ」だからなんです。

 しかし、いくら私自身が、過去にそのような神秘体験をしたことがあると「力説」したところで、一般の私のような者の話なんて、全く説得力ないじゃないですか。
「何、言ってんの?そんなことあるわけないじゃない!」とバカされておしまいの話です。
 でも、内村航平さんと羽生結弦さんが、実際に、そういう体験を語ると、
「あーっ、なるほどなあ。すごいなあ」と、めちゃくちゃ説得力ありますし。
 実績という証明があるわけだから、みんなが聞いてくれますし。
 何より伝えやすいじゃないですか。
「ああ、ようやく時代が追いついてきたなぁ」なんて、そんなふうにも思ったんですね。ですから、羽生結弦、推しでいてくれたカミさんに、ほんとに感謝です。

私自身の「魂の探求」と繋がった。

 もう、ほんとに驚いてます!!つまり個人的で霊的な話題と、これまでカミさんが推してきた羽生結弦さんというスケーターや、体操選手というアスリートの話題って、全く相容れないジャンルだと思って、想像すらしていなかったので。
 ああっ、ここでつながっていたんだ!!と思ったんです。

異なる山を登っているはずだった。

 例えて言うと、それぞれ異なる目的で登っている別の二つの山があって、それぞれ頂上を目指して登っていたとします。
 私は「魂の探求」という山で、一方、カミさんは「羽生結弦推し」という山。
「動画チャンネル」としては、相容れないジャンルを同時に追いかけるのは、避けた方がいいと言われています。視聴者が混乱しますから。
動画チャンネル作りとしては、よろしくないと。
 でも、なぜかわからないけれど、どっちの山も、とりあえず登っていたわけです。自分としては、全く別の山頂に着くと思って登っていたわけですが。ところが、いざ、山頂にたどり着いてみたら、なんと同じ山だったんだと。 今、山頂で、ご来光を拝んでいるような感じの物語になっちゃったなと。
いやー、なんか本当に導かれてたんだなぁと思うと嬉しくて。

 僕自身が「もうなんか神様って捨てたもんじゃないな」って、羽生さんと同じく、思ってしまったというわけで、いやもう、びっくりしました。
 ということで、カミさんが、羽生結弦さんを追っかけていなかったら、このような展開にはならなかったわけですし。

 皆さん、内村さんの話は、以前にも聞いたと思うんですけど、羽生選手については、ほんの少しゾーンに入ります。みたいな話を少しだけ聞いただけで、詳しくは知らなかったんです。
で、まあ羽生結弦さんが、プロになって、いろんな方と対談するようになり、前回はユーミンさんとですけど、とにかく対談するようになって、いろんな話が、次第に明らかになってきましたよね。

 で、とにかく、この羽生結弦さんのゾーン体験が、とんでもなくスゴいので、 まだ聞いてらっしゃらない方のために、ご本人の対談音声を一部引用させていただきますのでお聞きください

「内村航平×羽生結弦・対談」ゾーン体験より引用

 (番組の映像使用に制限があるためボカシを入れています。音声だけお聞きください。)※番組名で検索すれば、他チャンネルで見れる可能性もあります)

羽生結弦=操り人形系と内村航平=ロボット司令塔系

(羽生)初めて、多分ゾーンに入ったなって思うのが、小学校4年生ぐらいだったんですけど。その時は、本当に上からちゃんと全部リアルで見えてて、飛んだ瞬間に、時間を止めて、足の軸が崩れてるから、直そうって思って、こうやって上からこうやって、操り人形のような感じで、キュって直したら、全部飛べるみたいな。そんな時期がありますか?
(内村)一時停止できるのはいいね。俺のはできなかったね。
(羽生)たまにあるじゃないですか。カメラとかで、ピーって、なんかやってて、飛んでる瞬間に後ろに回って、途中で、この状態で、ピタって、一時停止して、カメラアングル変わって、それで降りてくる。みたいなことあるじゃないですか?

(解説*映画マトリックスで使用されたモーションキャプチャー3D立体人物をぐるりと回転させる手法で、野球の試合でのホームベースの判定を行う)

(内村)
羽生くんの場合は、多分、操り人形系なんですけど、僕の場合は、ロボット司令塔系なんですよ [笑い] 司令塔の操縦室みたいな中に、ちっちゃな自分がいて、やってるんだけど(操縦してる)

ーー引用終わりーーーー

「ゾーン体験」実は誰にでもあること?

程度の差はあるにしても、ゾーン体験というのは、実は誰にでもあることのようです。そして、これこそが人間とは何か という、人間存在とは何か?という本質的な問いにつながり、生きる意味や目的を探すためのモチベーションとなっているんだと思うんですね。この「ゾーン体験」とは一体何でしょうか?

究極のゾーン体験といえば?そうです。あのブッダの「宇宙即我」ですよね。瞑想していたら心がどこまでも広がって行き、宇宙そのものになってしまったっていう話。けれども、これはすごすぎて、皆さん、そこまで私だって、いけるわけもないんですけれども。
 身近な話ではですね。例えば、オートバイ事故にあった人が飛ばされる、ほんと瞬間にですね 別の自分の視点から、スローモーションのように、ありのままに、割れたヘッドライトのガラスがキラキラと輝いて飛び散るのが見えて見ていたとかですね。
 やはり、そのモーションキャプチャーのような立体映像と見たとか、何かスイッチが入って、それら事故の全体を見下ろしていたみたいな話を聞いたことがあるんですけれども。
 つまり、これらが何を示しているのかと考えますと。

ゾーン体験のメカニズムの仮説。

 私のこれは仮説ですけれども。この肉体の「心」のほかに、もう一つの次元の「魂」が重なっている状態にあって、つまり何らかのスイッチが入りますと、高次元の意識、つまり、魂の側に意識がいって、その魂というのは高次元存在なので360度。時間空間を超えて超立体的に認識することができると。
 この肉体の次元とつなぐインターフェースのようなものが「心」ではないかと思っております。
「魂」が本質的な自分だとすると、レイヤー構造のように重なっているのですが、普段、日常的に生活している私たちの「思考」というのは肉体脳にある「心=インターフェース」の反応で生活しているため、あれこれ悩んだり、愚痴ったり、怒ったり、いろいろと心が揺れ動いていると、そういう状態だと思うんです。その反応が、悩みの原因でもあるわけですが。

 肉体の危険が迫った時以外には、スポーツの中で極限に集中力が高まった時は、心が「魂の次元」とシンクロして、その視点が「魂の次元」に移ってしまうので、肉体の自分を360度、超立体的な感覚で認知することができるんではないかと思います。
 過去には、水泳の岩崎恭子さんも何らかのきっかけで、ゾーンに入ってしまったようで。その時何か信じがたい力が働き、スピードアップして優勝してしまったと。
「ゾーン」とシンクロした場合は未知の力が働くようです。

ジョブズも目指した禅の境地と「弓と禅」

 とにかく「ゾーン」については、いろいろな話を聞いたことがあるのですが、そんな中でも興味深いのは、やはり日本を世界に紹介した「弓と禅」という本ではないかと思います。

阿波研造師範(仙台)とヘリゲルの「弓と禅」

 アップルの創業者のスティーブ・ジョブズや、スターウオーズで知られるジョージ・ルーカスも愛読していたという、オイゲン・ヘリゲルの著作「弓と禅」の中に、まさにこの「ゾーン」体験の極意が語られているのです。

 この「弓と禅」は、オイゲン・ヘリゲルというドイツの哲学者が、日本に住んでいた時、弓道に興味を持って道場に通って著した体験談(実話)です。

 ヘリゲルは阿波研造師範の教えに従い練習に励みますが、一向に上達できないということで、師匠に意見してしまいます。
「先生は、的に当てようとせずに当てよと指導されていますが、しかし、的に当てようとせずに当てろなどと、いくら考えても意味がわかりません。」と。(西洋では、そのような教え方は合理的ではないということでしょう。)

 それで、ヘリゲルは、とうとう我慢できずに、
「先生、的を狙わなくても当たるとおっしゃいますが、それは、先生が何十年もここで稽古しているから、慣れているだけなんじゃないんですか?」と。まあ、屁理屈で反論してしまったんですね。

 そうしたところ、先生は「そうか」と。
「では、今夜、道場へ来なさい」というので、何を教えてくれるのだろうと思い、
 その夜、道場に、ヘリゲルが行ってみると、
 道場のロウソクの火を全て消してしまった、というんですね。そして、全く何も見えなくなった真っ暗闇の道場の向こうの「的」の脇に、たった1本の線香を立てたというのですが、それでは「的」が全く見えない状態です。
 ぼんやりとした線香の小さな光だけがあったと。
 すると、師匠は黙って、キリキリキリキュリュッと、弦を引き、30m先の「的」に向かって矢を放ち。すかさず、さらに、もう1本放ったというんですね。
 暗闇の中に響く音を聞いて、矢が的に当たったであろうことはわかったので、早速、ヘリゲルは的を見に行ったのですが、
 そうしたところ、
 あまりの光景に、ヘリゲル自身が、その場にへたり込んで動けなかった、という記述があるんですね。

 なんと、よく見ると「的」の真ん中を射抜いていた矢のその軸を、さらに2本目の矢が真っ二つに引き裂いていたと。

 そして、師匠は、こう言ったと。
 この「射」(しゃ)は、
 射(しゃ)を行ったものは、私ではないことを、私は知っている。
 それが射る(いる)ということだと。

つまり(私ではない何かが)弓を引かせて矢を当てたのだ、というわけなんですけれども。
 自分は当てようとせずに、何か、何らかの、何かに向かって、それに従って、矢を射ただけだ、というような話なんですね。
 だから、我々は、その「的」に向かって「仏」に向かうように、頭を下げましょう。と諭されたと。
 ヘリゲルは、雷に打たれたようになり、
 この日、以来、一切、疑うことをやめ、思い悩むこともやめて、稽古に励んだと。
 そして、ようやく、5年目に、免許皆伝をもらったというお話なんですね。

 ある時、突然、師範が「それで良しと、もう教えることはない」と言われた時のエピソードもあるのですが、それは次にしますね。

 「当てようとせずに当てよ」と。これ、本当に禅問答なんですよね

エピローグ。 内村航平の禅問答。

内村航平さんも対談で、こんなことを言ってます。
「考えて、考えて、考え抜いた末に考えない、みたいなところに行けると楽なんですけど、なかなか行けないんですよね。」と。
 考えて考えて考え抜いた先に考えな いって、何なんでしょうか?
面白いですよね。本当にめちゃくちゃ面白いと思いました。
  さて、今回の動画内村航平、羽生結弦対談とゾーン体験についてパート1ということで、この動画を締めさせていただきます。

 次回「魂の探求」そして「ゾーン体験」が、私たちの人生そのものにどのような意味をもたらすのか、そこからよりよく楽しく人生を生きるための方法、喜びの秘訣の続編をお届けしたいと思いますので、ぜひチャンネル登録、いいねボタンよろしくお願い申し上げます。それでは、またお会いしましょう。
ネコちゃらでした。


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