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東北のど田舎から上京した私が『舞妓さんちのまかないさん』を観て感じたこと

是枝裕和監督のNetflixドラマを観た。

舞妓さんちのまかないさん』というドラマだ。主演は森七菜ちゃんで、親友役の出口夏希ちゃんが良い味を出している。

表題になっている「舞妓さんちのまかないさん」を演じているのは森七菜ちゃん(以下、役名のキヨ)で、出口夏希ちゃん(以下、役名のすみれ)と一緒に「舞妓さんになろう」と夢を抱いて地元の青森を出てくるが、夢叶わず、舞妓さんたちが住む家(寮ともいえる)の「まかないさん」として舞妓さんたちのご飯を作るようになる、というところから物語は始まる。

内容は実にシンプルなように感じるが、この作品を観て非常に感極まるものがあった。
その”感情”について、今回はお話ししたい。



はじめに、私は本作品を観て、私自身「キヨ」と通じるものが非常に多くあったように感じました。

作品の中でキヨは、「舞妓さんになる!」と野望を抱いたすみれに誘われ、なんとなーく自分も京都に行くよう決意します。


青森を出るキヨとすみれ



そして、京都にてすみれと同じように舞妓さん修行を始めるのだが、それがなかなか上手くいかない、、、。

そんな中で、たまたま舞妓の仲間たちに作った料理がとても美味しいと評判になり、「まかないさん」となっていく。
その一方で一緒に京都に来たすみれは、その美貌とセンスから舞妓としての力を着実に積み上げていき、ついにデビューする。


舞妓さんデビューするすみれ

キヨはすみれの立派でキラキラとした舞妓さん姿を見て、心の底から喜びます。

周囲はそんなキヨとすみれの姿を見て、

キヨはそれでいいの…?
せっかく京都に出てきたのに…

そんな言葉を投げかけます。

ついには、一緒に田舎を飛び出したすみれも

キヨちゃん、ごめんね…。私が誘ったから…。

とキヨに申し訳なく思うようになります。

しかし、そんな中でキヨは

「すーちゃん。私ね、まかないさんになるために、ここに来た気がするんだ。」

と言うのです。


キヨとすみれ




みなさんは、このようなキヨの言葉を聞いて、どのように思いますか?

これはきっと、これまでどのような経験をしてきたか、今どんな考え方をしているか、で、その人の受け取り方が変わってくるのでしょう。

そんなのただの強がりじゃない?、と思う人もいると思います。

私自身は、このキヨの言葉にとても強く共感できます。

言うなれば、このキヨの言葉が私のこれまでの道筋を言語化してくれたのだと思いました。

というのも、私自身も東北の田舎から都会に上京してきました。
しかし、今思うとこれと言って何かをやりたいことがあったわけでもなく、野望があるわけでもなく、ただなんとなく東北の田舎だけで人生を終わらせたくなかった、都会でも生きてみたかった、それだけだったと思います。

しかし、田舎から上京する、となると、(これはただ自分が囚われていただけだと思うのですが)

何か(野望みたいなものを)持ってなきゃいけない、理由がなきゃいけない、

そんな気がしていました。

そのために、色々な理由をつけ、あたかもものすごく何かを成し遂げたい人かのように演じていた気がします(笑)。

若気の至なのか、、、今思うとものすごく肩肘張っていたなーと思うのですが、とにかく私はそんな人間でした。

しかし、実際のところの私は、どちらかというと、自分が何かを成し遂げたことよりも、他人が何かを成し遂げたことに幸福感を得る人間で、

人前に出て目立ったり、脚光を浴びたりすることをとにかく嫌がるタイプでした。自分に期待を持たれることが心底嫌なのです。

一方で、自分の近しい友達などが輝くことには本当に喜びを感じます。

特に、自分が何かをしたことで、その相手が何かを成し遂げられた時には本当に幸せを感じるのです。

例えば、私が通っていた高校は地域の進学校だったのですが、私は高校時代の成績は下の方で、特段奮うところもありませんでした。

しかし、私と同じ部活に本当に優秀な友達がいて、その子が模試で偏差値が80超えを記録することがありました。

当時はプライバシーも薄かったので、学年上位の偏差値の人達が各クラスに貼り出されたのですが、私はその時に、本当に泣くほど嬉しくて、「⚫︎⚫︎ちゃん、偏差値⚫︎⚫︎だよ!!!」とその子よりも喜んでいたことを今でも鮮明に思い出します。

こういう話を別の友達にすると、「君は本当に良い人だね。」などと言われることがありますが、良い人、などではなくて、これは本当に「ただそういう性格だ」ということなのです。



話を戻しますが、「舞妓さんちのまかないさん」ではキヨの上司である常盤貴子さん(のキャラクター)がキヨを見ていて「これだ!というものを見つけた人は強い」という話をするシーンがあります。

このキヨの「気づき」は自分の性質を理解して、自覚して、得たものなんじゃないか、と私は思ったのですが、

私自身ももっと早く自分の性格に気づいていれば、親の期待や、そういうしがらみから自分を解き放っていれば、キヨのように、もっと早く自分の居場所について考えられたのかも知れなかった、、、、、、、、、、

なんていう風にも思ったのですが、

まぁ、そこはドラマと現実世界を比べているわけなので、現実の人生はそんなに甘くないですね(笑)。

キヨのように「自分はこれだ!」をすぐに発見する人のほうが、きっと少ないんだろうと思います。



と、今回は是枝監督のNetflixドラマ『舞妓さんちのまかないさん』を観て、同様に田舎から上京してきた私が感じたことを書いてみました。

このドラマの最終回では、キヨとすみれを送り出した青森のおばあちゃんが

食べ物を「作る」人と、「食べる人」がいる。
それと同じように「去る人」と、「見送る人」がいる。
どっちが良くて、どっちが悪い、ってことはない。

と話すシーンがあります。

みなさんは、どちらですか?

私は、、、、、、、、。


2人の舞妓さんとまかないさん