「楽しんでやる」を勘違いしている人たち/ゲーム実況の話
Xを見ていると、すごくもやっとする事がある。
Xではいろんな配信者さんたちをフォローしていて、どんな感じで活動しているのか参考にさせてもらっている。
その中には「本気」でやっている人と「趣味」でやっている人がいる。
当たり前だ。
趣味でYouTubeをやるのは決して悪いことではない。
趣味は趣味として楽しくやれたら それで良いではないか。
問題はここからだ。
趣味でやっているといいつつ、「チャンネルが伸び悩んでいる」「チャンネル登録お願いします」と言っている人だ。
趣味の線引きが出来ていない。
趣味に伸び悩むも何もない。
伸び悩んでいる時点で「趣味」の枠を超えている。
楽しんで活動していく(伸びたい)の意味を「趣味で時間のできた時に自分の好きなゲームをその時の気分で選んで好きなようにプレイする。あわよくば…」だと勘違いしている人だ。
冷静に考えて↑のようなやり方で伸びるだろうか?
決して趣味で活動する事が悪いわけではない。
伸びたい、チャンネル登録者を増やしたいと考えるならば趣味との線引きをするべきだ。
その線引きが分からない人には、それだけのセンスがないのだから伸びるわけないと思うわけで。
Xを見てると半分くらいは そういう人だなと思う。
順調に伸びているように見える人でも裏ではたくさんの工夫をしているはずだ。
そういう人は苦労を表には出さない。
「楽しんでやる事が続けていく秘訣です」と言うだろう。
それは間違っていないが「楽しんでやる」の意味をはき違えていると悲惨なことになる。
偉そうなこと言ってるが自分は趣味でやっていない。
趣味で毎日配信(固定)しないよ。配信の時間に合わせて全ての生活リズムを調整している。
毎日同じ時間に配信をすることが本当に楽しいのか、と言われると決して楽ではない。
はっきり言って他の人におすすめできない。
しかし結果が出ることは何より嬉しい。
1ヶ月後のチャンネルは今日より大きくなっているはずだ。
そういうことを楽しんでいる。
「伸びたい」という気持ちがあるなら何かを犠牲にしなければいけないとも思っている。
苦労せずとも伸びるならこの世界に「伸び悩む」という言葉は存在しない。
▶例えるなら
家庭菜園で例えるならば趣味でトマトを作りたい。プランターでやりたい。今月の収穫は10個。
それで良いではないか?
100個収穫している人を見て「自分の収穫は少ない」と言っているようなものだ。
100個収穫したいならプランターも増やさなければいけないし、肥料や水やりの手間もかかるだろう。
しかし、手間は今よりもかけたくない。
プランター1つでトマトを100個収穫しようとしている。
それはムリゲーでしょ。
やっている人の成果物だけを見て伸び悩んでいる人が多すぎる。
自分のペースで。楽しむことを最優先に。自分が楽しくなければ意味がない。
Xでお気持ち表明している人のほとんどは この言葉を使っている。
この言葉の都合の良いところだけを切り取っていないだろうか。
伸ばしていきたい、あの人みたいになりたい、と思うなら他に優先すべきことがある。
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もう一つ思うのが「適当にショート(動画)作ったので見に来てください!」「面白くないかもいしれないけど見て下さい」
というやつだ。
????
適当に作った動画を誰かに見てもらおうと思っているその時点でアウトでしょ。
身内ならまだしも、見ず知らずの無名の人が適当に作った動画を見たいとは思わない。
動画を作った上で面白くないと感じたなら、面白くなるように編集し直せばよい。
ネタのつもりなのだろうがそのセンスが面白くない。
「動画編集初心者ですが一生懸命作ったので見てもらえたら嬉しいです」となぜ素直に言えないのだろうか。
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