月8万の低空飛行ビジネスからの脱出! ー前編ー
ママのための行動力UPコーチ
けいちゃんです!
今日は私の情けない過去についてお話しさせてください。
今、現在私は
♡実働時間は週にたった3時間
♡好きな場所で好きな時間に仕事ができる
♡行きたい時に家族旅行に行き
♡人気女性起業家のお友達もたくさん
♡値段を気にせず好きなブランドの服が買える
♡好きなことだけで月収7桁
という暮らしを送っています。
この暮らしは、私が起業した2020年には
全く想像もしていなかったことで、
まさか自分がこんなにも伸び伸びと軽やかに
月収7桁を叶えられるなんて思ってもみませんでした。
だって、去年までの私は
・毎日6時間ほど働き、昼食は車の中でコンビニおにぎり
・家事と育児と仕事で疲弊し気絶するように眠る
・土日はワンオペで子供達を公園に連れて行きクタクタ
・睡眠不足と余白の無さでいつもイライラ
・夫に対して不満が募り笑顔も会話もなくなる
・お金の不安が常に付きまとい嫌な仕事も引き受ける
・嫌われる事を恐れて自分らしさを失う
・ストレスでいつも肌荒れ
こんな最悪な状態でした・・・
でも、
私にはこんな働き方・生き方しかないと
本気で思っていたんです。
だって私は、
生まれた時から実家が超貧乏!!
幼少期に住んでいた家は玄関の窓ガラスも割れていて、トイレは離れにあるボットン便所。
服は基本、兄二人が着倒した毛玉だらけのトレーナー。
自転車や学習机なども新品なんかは買ってもらえず
いつも親戚から回ってくるお古でした。
住んでいた地域も田舎だったので、
近くに遊ぶようなところもなく、
夏休み明けに友達から聞かされる家族旅行の話を
私はいつも羨ましく聞いていました。
高校卒業が近づいた時、母親から
「うちは貧乏だし、兄弟も多いから大学は行かせられない」
「とにかく就職しなさい」
そう説得され、美大の推薦を断った苦い思い出もあります。
そんな感じで幼少期からずーっと私は
『貧乏な星の子』
として生きてきました。
ただ、
そんな私が人生でほんの一瞬だけバブルを経験したことが!
美術が大好きだった私はなんとか美術に関係のある仕事につきたいと思い、
高校卒業後、絵画の営業販売に就きました。
右も左も分からない和歌山の田舎から出てきた18の私は
大阪梅田でとにかく一生懸命に仕事を覚えて、
なんと営業成績で新人の部で賞をいただくことができました。
その時のお給料が確か月収50万ほどだったと思います。
18歳の田舎娘が毎月50万円振り込まれても
いまいち使い方も分からず、
かといって将来のために貯金しようという考えもなかったので
毎晩居酒屋で夕ご飯。
毎週USJで暇つぶし。
海外アーティストのグッズなど買い漁る。
彼氏とパチンコで使い切る。
など、今考えると本当に無益な使い方で散財していました。笑
その時に資格の勉強など自己投資にまわしていたら
若くして成功していたのではないか・・・とも
思いますが18歳の私にはそんな考えは一切なく。笑
程なくして、営業成績が少し落ちた時にメンタルを病み、
そのままフェードアウトで営業から退きました。
その後はとにかく時給がいい仕事をメインで職を転々とし、
パチンコ店、百貨店の販売員、などを経験しましたが、
自分の頑張りに応じて給料が変わるという働き方に
戻ることはありませんでした。
思考停止で適当にやっても毎月25万が振り込まれ
そこから家賃7万円を引き、あとは光熱費と携帯代と外食費。
給料日前には貯金残高がすっからかんで
CDを売りに行って数百円を工面し、
サッポロ一番塩ラーメンで飢えを凌ぐ。。。
ある日、かに玉を作ろうとして贅沢に卵3個を
ボウルに入れた直後、ボウルをひっくり返して
床に散乱させた時は大人とは思えないぐらいに
咽び泣きました。笑
電気・ガスが止められるのは日常茶飯事。
水道は最後に止められることを分かっていたから
ギリギリまで支払いから逃げ続け、とうとう水道も止められ、
喉カラッカラの状態で自転車を走らせて水道局に
支払いに行ったこともありました。
とにかく私はお金に好かれる人生ではなく
支払いに追われ 逃げ続ける人生。
28歳で結婚した私は夫の家具店を手伝い
育児と家事と仕事を両立することになりました。
これがかなりキツかった・・・
家族経営は恩恵もたくさんあり、
助けられることもありましたが、
就労規則があってないようなもの。
臨月でお腹がはち切れそうでも
朝から晩まで立ち仕事。
つわりが一番キツかった時期は顔面蒼白の私に気づいて
お客様の方から「座ってください!!」とお声がけいただくことも・・・
子供が生まれ一歳を迎えたころ、
保育園に子供を預けすぐに職場復帰したのですが、
接客が長引くと最終のお迎え時間に間に合わず、
いつもひとつだけ明かりがついた部屋で遊ぶ娘を
「ごめんね」と謝りながら抱きしめる日常でした。
転機はコロナ
2020年。日本に未知のウィルスがやってきた時
私は3人目を出産しました。
小学校、保育園完全閉鎖。
公園なども使用禁止。
一切外に出られない状態で私の3人育児が始まりました。
毎日泣き叫ぶ新生児とイヤイヤ期の2歳児、
体力が有り余ってイライラしている長女。
マンションで子供たちが泣き叫び
心配したお隣さんがお菓子を持って
ピンポンを鳴らしてきたことも。
とにかく地獄のようでした。
毎日、気絶するように眠り、
夜中に授乳で3回ほど起き、
そして朝からまたワンオペ育児が始まる・・・
あの頃のことをこうして文章に起こすだけでも
辛かったことが走馬灯のように思いだされ涙が出そうになります。
そんな時、
大好きだった友達が病気で亡くなる
というショックな出来事が…
私はこの友達の死がきっかけで
人生について深く考えるようになりました。
もし、今私が死んだら子供たちにとってどんな母親像が残るんだろう・・・
いつも辛そうでイライラしていて鬼のようなお母さん?
泣きながらあてもなく車を走らせていたお母さんの横顔?
だったとしたら、、、、そんなの嫌だ!!!!
私は、楽しくて明るいお母さんとして子供たちの記憶に残りたい!!
そのために、不平不満ばかり言っているのではなく
自分の力で自由を手に入れて自分のことを好きになりたい!!!
まずは自分を満たしたい!!!
そうして私は一念発起し、開業届を提出。
当時持っていた整理収納アドバイザーの資格を活かし
リアルセミナーなどで活動をスタートさせました。
後編に続く・・・
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ここまで読んでいただきありがとうございます♡
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