『風と木の詩』は少女読者のためのエロ漫画
竹宮アンチはよく竹宮惠子先生の『風と木の詩』はエロ漫画だと、さもそれが問題であるかのように言いますが、それについて竹宮ファンの私は「エロ漫画なのは先刻承知。それのどこが問題なの?」と思ってしまいます。
美しい異性の裸を見たいというのは人間の本能。
そういう願望に、男女の性差はないでしょう。
男性向けの少年誌にも、女の人の裸やラッキースケベのようなエロシーンが出てきます。
成人向けエロ漫画を読めない未成年の読者にとって、それは性のオアシス。
「エロ漫画は子供の精神を成長させる」という説もあります。
しかし、1970年代当時、少女向けの漫画雑誌には、美男子の裸やエロシーンが出てくる漫画は、ほとんどありませんでした。
あったとしても風木のように具体的なものではなかった。
かくいう私も『風と木の詩』が連載されていた頃は、ジルベールのエロシーン見たさに『週刊少女コミック』を読んでいました。
『風と木の詩』の感想で多いのが「ジルベールが何を考えているのか分からない」というもの。
これは当然だと思います。
なぜならジルベールの思考や行動パターンは、物語としての必然性ではなく、竹宮さんが少年にさせたいシチュエーションだからです。
オーギュストに誘われてマルセイユの海の天使城を訪問したセルジュは、オーギュストと抱擁するジルベールを目撃します。
セルジュが来たのでオーギュストに放置されたジルベールは、まるで自動人形のように腕を動かしていました。
竹宮さんは「なぜ自動人形なの?」と友人に聞かれて「そういうのを描いてみたかったのよ」と答えたそうです。
ジルベールの行動パターンがあらかじめ設定されていたから、そう描いたのではなく、自分がジルベールを使ってさせたいことをさせていただけというわけです。
他にも、働いていたパリのレストランで意地悪なバイト仲間に足を引っかけられたジルベールが好戦的な表情になって、つかみ合いの喧嘩をする場面があります。
学園編では見られなかった行動に、読者から「ジルベールはなぜ変わったの?」という手紙が来たことを受けて竹宮さんは「人は環境が変わると、今までとは違う側面を見せます。でも、それはその人が元々持っていた性質であって、環境が変わったからといって、その人の本質が変わったわけではないのです」と答えていました。
これは読者向けの建前であって、本当は髪をつかんで取っ組み合いをする少年らしいジルベールを描いてみたかったんでしょうね。
下記は、竹宮惠子さんが『風と木の詩』を描いたときの製作法です。
これをみると、まさにエロ漫画の描き方って感じですね。
私もBL同人誌を同じような感じで制作していました。
ちなみに、竹宮アンチの人はよく「風木は児童を性的虐待するペドファイル漫画だ」と言いますが、本当に法律に触れていたら発禁本になりますよ。
竹宮さんも『少年の名はジルベール』の中で「当時は、わいせつな漫画を描いたら警察に呼ばれることもあった」と書いています。
『風と木の詩』冒頭のベッドシーンで、ブロウとジルベールの足が絡み合っていないのは警察対策だったと、当時の編集担当だった山本順也氏との会話で明かしていました。
下記は2002年の事件ですが、わいせつすぎる漫画を描いたら逮捕されることだってあるんです。