大反響御礼!【連載】実録!『PRIDE』の怪人・百瀬博教(第5回)
かつて『PRIDE』のリングサイドには、いつも野球帽を被りサングラスをかけた、通称・「『PRIDE』の怪人」と呼ばれた男が座っていた。作家であり、NPO法人 日本スノードーム協会初代事務局長であり、のちに終身名誉会長となる百瀬博教氏である。
果たして、一時期の『PRIDE』においてその存在感はひときわ際立っており、百瀬氏なくして格闘技界を語れないほどの人物だった。
なぜ百瀬氏は『PRIDE』と関わるようになったのか。その謎に迫る、大反響の連載第5回――。
〈前回までの内容はこちら⬇︎〉
《【連載】実録! 『PRIDE』の怪人・百瀬博教の記事一覧》
▪︎幻の小川×ヒクソン戦
2000年10月31日、大阪城ホール。
この日開催された『PRIDE11』では、前回のグッドリッジ戦に続き、小川直也が2度目の『PRIDE』登場を果たした。対戦相手は佐竹雅昭。つまりそれぞれが柔道、カラテというバックボーンを持った、トップ同士の大物日本人対決である。結果は、2ラウンド2分1秒、チョークスリーパーで小川に軍配が上がった。
「あれも見応えのあるいい試合だったね。だけど、この時の交渉はホントに簡単だった。だいたい、物事を決めるのに簡単でないことなんてのはないんだよ。『グズの大忙し』じゃないけど、思いやりのない人間は女一人をものにすることすらできない。それでも、俺が『PRIDE』に関わってた頃、ほかの人が組めないカードを組めたコツってのは、こちらのできることだけ選手に直に伝えて、ハッタリや嘘を言わなかったからだろうな」
ちなみに、小川直也×佐竹雅昭戦は、フジテレビにおいて、11月5日(日)の午後4時から5時25分まで放送されたが、試合から6日後というタイムラグがありながら、平均視聴率12・6%という数字をマークし、 瞬間最高視聴率も午後5時2分台に18・7%をマークした。これは夕方の時間帯にしては驚異的な数字である。
そして当時のプランとしては、小川×ヒクソン戦を考えていたという。
「だって日本人選手でヒクソンに勝てる可能性が一番高いのは、やっぱり小川直也だろうよ。だけど、小川も初っ端からヒクソンってわけにもいかないだろうから、その手はじめってことで、まずはグッドリッジとやってもらったんだからさ」
以下、その内容を一部紹介
▪︎猪木の芸
▪︎『猪木詩集 馬鹿になれ』
▪︎誤解されやすい先輩
▪︎柔道のダメなところ
▪︎「森鴎外を知ってるか?」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?