【『週プロ』師弟対談(2)】ターザン山本!×布施鋼治〈vol.8(最終回)〉「彼女なんか作るな!」
今回は平成版『喫茶店トーク!』の番外編として、元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏とその弟子の一人、布施鋼治氏が時空を超えて再会! もちろん、本対談のテーマもズバリ「『週プロ』とはなんだったのか?」(一部敬称略)。あ、酒が入っているのでご注意を!(笑)(聞き手◉“Show”大谷泰顕)
(⬆︎「『週プロ』とはなんだったのか?」を語り出したターザン山本! 氏&布施鋼治氏と『週プロ』編集長最後の号となった21年前の743号/96年7月23日号の表紙。ターザンカフェも絶好調!)
〈前回までの内容はこちら⬇︎〉
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(元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏が古き良き時代を熱弁!)
(⬆︎今回は、この号に関する話が登場!)
▪︎恩人・ターザン山本!
山本 あのー、布施くんは僕のことをどう思っているんだ?
布施 ひと言で言えば恩人ですよ。
山本 恩人!? なんで恩人なんだあ?
布施 ぜんぜん覚えていないと思いますけど、バイトをしている時に、杉山さんが一度、僕を切ろうとしたことがあったんですよ。
山本 ええっ! なんで?
布施 それはわからない。理由は知らない。ペーペーだったし。そしたらその時、山本さんが僕をエレベーターホールのところに呼び寄せて、「お前、どうする? 杉山さんがお前のことをクビにしようとしているぞ」って言うから、「残れるようにしてもらえないですか?」って言ったら、「そうか。わかった。ちょっとだけ頑張ってみるわ」って言って、結果、生き残れることになったんですよ。
——それは確かに恩人だ。
布施 それで結果、雑用は減った気がする。書く仕事だけになったような。
山本 あ、そうなんだ。まったく覚えていないよ。
——それは覚えていないでしょうね。
布施 あんなに毎日いろんなことがあったら覚えていないのはわかりますよ。
山本 覚えていららないよなあ。
布施 無理。あれは覚えていられない。だけどその話があったのは確かですよ。
山本 いやあ、俺は覚えていないから初めて聞いたよ。
布施 あの当時……(※『週プロ』編集部の舞台裏話をいくつか。さすがに危なすぎるので自主規制)。
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〔関連項目〕
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⬆︎『空気を読んではいけない』担当編集者・幻冬舎の箕輪厚介氏他が激白!
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⬆︎Uとは? 長州とは? 元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏が古き良き時代を熱弁!
——素敵な話ですね。書けないけど(笑)。
布施 俺はその当時はガキだったけど、空気は読むほうだったから。
山本 凄い世界だなあ。
布施 まあ、あの時代だからこそ通用したことがたくさんありますよね。
山本 そうだな。
布施 だから山本さんは私の恩人ていうのがオチということで(笑)。
山本 それがオチか(笑)。
布施 もし山本さんに出会わなかったら、そこらへんの大学の、しがない教員くらいで終わっていたと思うんですよ。
——じゃあ、布施さんにはそっちの素養はあったんですね。
布施 親はそっちのほうに行ってほしかったんだろうね。
——そっちほうがよかったんじゃないですか?(笑)
布施 今思い出しました。親は今いるほうにはいかせたくなかったんですよ。
山本 そりゃあそうですよ!
布施 だから「某大学の大学院に行け」って言われたんですよ。今は知らないけど、その当時は大学院まではコネがあったのかもしれない。実際に「この先生だったらいいだろう」っていう先生にも会ったしね。でも、僕いは『週プロ』を選んじゃったんですよ(笑)。
以下、その内容の一部を紹介
▪︎「彼女なんか作るな!」
▪︎逃げていくアルバイト
▪︎忘れるからこそ
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