大反響御礼!【連載】実録!『PRIDE』の怪人・百瀬博教(第4回)
かつて『PRIDE』のリングサイドには、いつも野球帽を被りサングラスをかけた、通称・「『PRIDE』の怪人」と呼ばれた男が座っていた。作家であり、NPO法人 日本スノードーム協会初代事務局長であり、のちに終身名誉会長となる百瀬博教氏である。
果たして、一時期の『PRIDE』においてその存在感はひときわ際立っており、百瀬氏なくして格闘技界を語れないほどの人物だった。
なぜ百瀬氏は『PRIDE』と関わるようになったのか。その謎に迫る、大反響の連載第4回――。
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《【連載】実録! 『PRIDE』の怪人・百瀬博教の記事一覧》
▪︎「お疲れ様でございます」
さて、ここまで一気に書いてきたが、ここで少し私と百瀬氏のことを書いてみたい。というのは、これ以降、私の眼で観た百瀬氏の話を書いていったほうが、より正確に話が伝わると思うからだ。
初めて私が百瀬氏と出会ったのは、たしか高田延彦の取材をしていた時、取材場所となった都内の中華料理店だったように記憶している。
百瀬氏が正式に『PRIDE』に関わったのは、先にも書いたように、KRS体制からDSEに変わった『PRIDE5』からだと把握しているが、その頃は二度目の高田×ヒクソン戦(1998年10月11日、東京ドーム)の流れもあって、私はよく高田を追いかけていた。その際、都内の中華料理店で高田の取材をしていると、そこに百瀬氏が現れ、同じ席に座ったのだ。私はその時、百瀬氏がどういう人物なのか、まったく知らなかった。
たしかにパッと見ただけで、その強烈な存在感に圧倒されそうにはなったものの、決して威圧的ではなく、むしろその存在感からすれば、暖かみのある雰囲気が感じられた。そのギャップに安心したのか、私はまずはご挨拶を申し上げた。
「お疲れ様でございます」
きっと私と同年代の人間なら誰しもそうだろうが、仮にそれが誰であっても、自分より一秒でも早く生まれた方は敬わないといけない。それが純日本的教育というものだと思っている。
しばらくすると、百瀬氏は私にこう言った。
「君、これは俺のぶんだけど召し上がれ」
そして料理を取り分けたお皿を渡してくれたのだ。その「召し上がれ」という言葉の響きに驚いた私は、率直にこう思った。
〈凄く上品な言葉を使う方だな〉
つまり、それが百瀬氏に対する私の第一印象だった。
「きれいな言葉を使わないとダメだぞ」
それから百瀬氏とは徐々に親しくなっていく過程で、事ある毎にそう言われることになる。もちろん私は、とくに目上の人に対する言葉遣いが別段汚いと思ったことはまったくないが、それでも百瀬氏は常にそう口にされていた。
以下、その内容を一部紹介
▪︎挨拶は身を守る鎧
▪︎蒸し風呂の西武ドーム
▪︎「1、2、3、ダーッ!」
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