【『週プロ』師弟対談(2)】ターザン山本!×布施鋼治〈vol.4〉[UWF系情報屋としての存在]
今回は平成版『喫茶店トーク!』の番外編として、元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏とその弟子の一人、布施鋼治氏が時空を超えて再会! もちろん、本対談のテーマもズバリ「『週プロ』とはなんだったのか?」(一部敬称略)。あ、酒が入っているのでご注意を!(笑)(聞き手◉“Show”大谷泰顕)
(⬆︎「『週プロ』とはなんだったのか?」を語り出したターザン山本! 氏&布施鋼治氏と『週プロ』編集長最後の号となった21年前の743号/96年7月23日号の表紙。ターザンカフェも絶好調!)
〈前回までの内容はこちら⬇︎〉
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(元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏が古き良き時代を熱弁!)
(⬆︎今回は、この号に関する話が登場!)
▪︎しょっぱかった試合レポート
――あのー、布施さん的に旧UWFはどういう存在だったんですか?
布施 旧UWFの時は出入りしてたよ。
――ですよね。正直、初めはあんな格闘技志向のプロレスになるはずじゃなかったじゃないですか。
布施 グチャグチャだったからね。
山本 お前が考える、UWFってどうなんだ?
布施 非常に複雑な想いがありますね。
山本 あのね、柳澤健が『1984年のUWF』(文藝春秋)を書いたことによって、UWFがまた再考されて、再ブームが来て、いろんな人がそこにまつわる話を書いたわけじゃない。平直行とか。
布施 ブッカーKも書いていましたね。
山本 ブッカーKまで本を書いたんだから、どういうことかと思ってさ。みんなさあ、なんかさあ……!
布施 柳澤さんを別にすれば、皆さん、当事者として思いが強かったんだと思いますよ。
山本 あのさあ、俺はハッキリ言いたいよ。UWFができた時に、誰もUWFに注目はしていなかったわけよ。
布施 専門誌の記者では山本さんだけでしたよね。
山本 俺一人の闘いよ。違う?
布施 その時に、僕もUWFのことを書きたいとは思ったけど、書く媒体もないからって『週プロ』で書かせてほしいなと思って、編集部に出入りするようになったっていうのが動機だから。
――そういう流れがあったんですね。
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〔関連項目〕
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⬆︎『空気を読んではいけない』担当編集者・幻冬舎の箕輪厚介氏他が激白!
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⬆︎Uとは? 長州とは? 元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏が古き良き時代を熱弁!
布施 旧UWFの時かなあ? 試合レポートのデビュー作が、1984年の4月24か25日に大田区体育館であった、佐山聡×前田日明戦なんですよ。
――そんな試合、ありましたねえ。
布施 山本さんは試合が終わると思う、口癖のように「この試合、どう思うか?」って聞いて来たでしょ?
山本 うん。
布施 だからその時も、ああでもないこうでもないって話をしていたら、その時の山本さんには意外と腑に落ちたのか、「じゃ、お前が書け」ってなったんですよ。
山本 パチパチパチ!
布施 そうしたらこっちは必死に書くでしょう。それで掲載してもらいました。それからも大会があるたびに勝手に書いて、「どうですか?」と思って行ったらまるで相手にされない(笑)。却下ですよ、却下。
山本 え?
布施 2、3回は却下された記憶があります。
山本 却下されたあ?
布施 たぶん、しょっぱい原稿だったんでしょうね。
山本 しょっぱかったのかあ! パチパチパチ!
布施 だから最初の頃はビギナーズラックで記事をを載せてもらっていたんだと思う。
以下、その内容の一部を紹介
▪︎「夏場はがぶれ」
▪︎山本家の不思議な親子関係
▪︎UWF系情報屋としての存在
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