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大反響御礼!【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン・ケリー・猪木、その半生を激白!(7)「マーク・ケアー騒動の真相」
アントニオ猪木の娘婿にして、元・新日本プロレス社長と現IGF取締役の肩書きを持つ男。それがサイモン・ケリー・猪木である。その肩書きが示す通り、サイモンの人生は常に激動の中にあった。
そんなサイモンが半生を振り返る大反響の連載。注目の第7回はあのマーク・ケアー騒動の真相を激白! 迷わず読めよ。読めばわかるさ!(聞き手◉“Show”大谷泰顕)
〈前回までの内容はこちら⬇︎〉
【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン猪木、半生を語る!
(素顔のA猪木とその愛娘・猪木寛子、そして倍賞美津子…、親族のみが知る真実!)
▪︎藤田和之がファスティング中にカツ丼を!?
――それで大晦日に大阪ドームで『INOKI BOM-BA-YE』をやって、年が明けて2001年です。
サイモン 21世紀ですね。
――そうですね、2001年は『PRIDE13』(さいたまスーパーアリーナ)があって、安田忠夫×佐竹雅昭戦があったんですよね。
サイモン あったあった。そこから安田忠夫の年になるきっかけがあったんですね。
――実はそこから始まっていたんですよね。
サイモン なるほどねー。
――一方、藤田和之が4月9日には大阪ドームでスコット・ノートンを破って、IWGPチャンピオンになるんです。
サイモン あー、それもありましたね。
――あの頃のサイモンさんは?
サイモン 流れが『PRIDE』に来ちゃっていましたからね。当時の新日本の人たちにとったら、自分たちが頑張っているのにっていう風には思っていたかもしれないですね。
――そういう感じですかー。
サイモン だけど、猪木さんはやっぱりプロレスラーには強さがなければいけないっていう考えがあるから、せっかく『PRIDE』でちゃんとそれを証明している藤田さんを、なぜ使わないんだっていう考えだったと思うんですよ。
――もちろん、そうだったと思いますね。
サイモン その部分は、猪木さんは何があっても変わらないっていうか、崩さないですよね。
――さすがですね。『PRIDE』だと藤田和之は高山善廣戦(5月24日、横浜アリーナ)がありましたね。
サイモン そうでしたね!
――試合そのものは凄い試合でしたけど、あの試合の頃の話で覚えているのは、藤田和之の体重が140kgとか、異様に重かったような話を聞いて、猪木さんからファスティング(断食)を勧められていたことでしたね。
サイモン そういう話もありましたね。あの試合は勝つには勝ったけど、そこまでコンディションも良くなかったはずですよ。
――軽井沢だったかの保養所にファスティング(断食)をしに行ったけど、腹が減ったからカツ丼を食べた、みたいな話を聞いたことがあります(苦笑)。
サイモン ファスティング中に?
――そうみたいですね(笑)。
サイモン ハハハハハ。
――舐めた男ですね、「猪木イズム最後の継承者」は。ちなみにこの頃に、例のマーク・ケアー騒動があったんですよ。
サイモン ありましたねえ(苦笑)。
――DSEとマーク・ケアーがどういう契約をしていたのかわからないけど、結果的にはゼロワンの大会に出てしまったと。きっかけのひとつは、2000年の大阪ドームでやった『INOKI BOM-BA-YE』に関わっていたステージアという会社が、DSEと袂を分かって、ゼロワンと『真撃』を始めたからなんですよね。
サイモン そうでしたね(笑)。今ではありえないですよね。あれだけのバジェット(予算)で大阪城ホールや日本武道館で大会をやっていましたからね。
――そこそこギャラも良かったんですか?
サイモン 知っている範囲の金額は良かったですね。今では考えられないギャラでしたから。
――外人選手との契約に関しては、2007年のIGFの旗揚げの時にも、似たような話がありましたけど、基本的に外人選手にとって、契約書は関係ないんですよね(苦笑)。
サイモン だいたい、本人は「契約はない」って言うんですけど、実際に呼ぶと問題があったりすることが多いんですよね。
以下、その内容を一部紹介
▪︎マーク・ケアー騒動の真相
▪︎石澤常光、ハイアンにリベンジ成功!
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