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大反響御礼!【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン・ケリー・猪木、その半生を激白!(12)「愛娘・寛子から父親・アントニオ猪木への手紙」
アントニオ猪木の娘婿にして、元・新日本プロレス社長と現IGF取締役の肩書きを持つ男。それがサイモン・ケリー・猪木である。その肩書きが示す通り、サイモンの人生は常に激動の中にあった。
そんなサイモンが半生を振り返る大反響の連載。注目の第12回は、古舘伊知郎がMCをしていた『おしゃれカンケイ』(日本テレビ)のゲストがアントニオ猪木だった時(2002年1月6日放送)に、愛娘・寛子さんから贈られた手紙に関する話! その時いったい何が起こったのか!? 迷わず読めよ。読めばわかるさ!(聞き手◉“Show”大谷泰顕)
〈前回までの内容はこちら⬇︎〉
【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン猪木、半生を語る!
(素顔のA猪木とその愛娘・猪木寛子、そして倍賞美津子…、親族のみが知る真実!)
▪︎息子たちの「猪木劇場」を味わわせたい
――いずれにしても、猪木さんの血を引く「アントニオ猪木」がいるんですね。
サイモン そうなりますね。
――いま8歳かあ。10年後が楽しみですね!
サイモン 上の子は水泳で、下の子はいま体操をやってますけどね。まだ格闘技系には目覚めてないですからねえ。
――是非、そういう日が来てほしいですよね。一刻も早く!
サイモン こっちから「やれ」はないんですよ。ただ、猪木劇場を見せたいっていうのはあるんですよね。
――まだ観たことはないんですか?
サイモン なかなかタイミングが合わなくて。ただ、見せた上で、もし血が騒いだらそうなるかもしれないし、そうならなくてももちろんいいし。だけど、あの「元気ですかーッ!」いうのと、「1、2、3、ダーッ!」っていう空間を味わわせたいんですよね。
――もしそれが『RIZIN』だったら、是非とも寛子さんにも来てもらって、高田本部長と衝撃の再会を果たしながら「高田くん、元気だった?」みたいな会話をしてほしいですね(笑)。
サイモン ハハハハハ。
――サイモンさん的には、子どもができてから生活サイクルは変わったんですか?
サイモン 二人ともロス道場ができてからは仕事としてそこに関わっていたから、子どもも連れて来ちゃいますからね。とくに上の子は、保育園に入れる前まで連れて来ていましたからね。道場が遊び場っていうか、みんな遊んでくれたりしましたしね。
――そういう環境にいれば、自然と仲良くなっていくでしょうからね。
サイモン LYOTO(リョート・マチダ)も遊んでくれたりもしましたからね。WWEに行っちゃったブライアンとか、新日本に行ったロッキーとかその辺りのメンバーは遊んでくれたし。今ではみんなそこそこ有名になっちゃいましたね。
――ロス道場にはLYOTOもいたんですね。
サイモン 彼の場合はお父さんの影響で空手を練習したりして、MMAの練習したり。
――LYOTOって言えば、ドーム大会(2003年5月2日)で判定で勝ったのに、その内容の不甲斐なさに、猪木さんから鉄拳を食らいましたよね。
サイモン デビュー戦(相手は謙吾)でしたね。周りがポカーンとしていましたよね(笑)。勝ったと思って喜んでいたら鉄拳ですからね。
――猪木さんは『PRIDE』(2001年11月3日、東京ドーム)で、読売巨人軍時代の清原和博選手に張り手をお見舞いしているんですよね。
サイモン ありましたね。
――あの時は、この前、サイモンさんにも話してもらった、同時多発テロの頃だったんですよ。
サイモン そうだったんですね。
――だから、あの時、アルカイダのウサマ・ビンラディンにかけて、「俺の名前はビンラディン」って言ったから、意味がわからなくて、猪木さんに「あはどういう意味ですか?」って聞いたら、「ビンタジン(ビンタをする人)」って言ったみたいなんですよ(笑)。
サイモン ああ……(笑)。
――しかもその時、ちょうど木戸修さんが引退する頃で、パラオに木戸さんを連れて行ったですよね。
サイモン ああ、はいはい。
――そしたら猪木さんが「木戸を殴れば、オサム・ビンタジン」みたいなことを言っていて(笑)。
サイモン あれ? その時のパラオには俺も行きましたね。
――ああ、そうだったんですね。
サイモン 何度か行っているんですよね、猪木島は。
以下、その内容を一部紹介
▪︎愛娘・寛子からアントニオ猪木への手紙
▪︎三つ巴の2003年大晦日
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