衝撃の再開! 【連載】実録!『PRIDE』の怪人・百瀬博教(第8回)
かつて『PRIDE』のリングサイドには、いつも野球帽を被りサングラスをかけた、通称・「『PRIDE』の怪人」と呼ばれた男が座っていた。作家であり、NPO法人 日本スノードーム協会初代事務局長であり、のちに終身名誉会長となる百瀬博教氏である。
果たして、一時期の『PRIDE』においてその存在感はひときわ際立っており、百瀬氏なくして格闘技界を語れないほどの人物だった。
なぜ百瀬氏は『PRIDE』と関わるようになったのか。その謎に迫る、大反響の連載第8回――。
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自己犠牲
百瀬氏に川村氏がアントニオ猪木を紹介する舞台となったのは、やはり東京・西麻布の「キャンティ」だった。
「あの時、カラダにまったく力を入れないで、俺に笑顔を向けた猪木は、とってもチャーミングな男だったね」
その猪木氏が百瀬氏にハンサムな青年を紹介した。
「川村んとこのタレント?」
「ハハハ、船木(誠勝)っていうレスラーです」
この時、アントニオ猪木の横に座っていた作家の村松友視氏まで小さく笑っていたという。
「とにかく俺のプロレス音痴はそのくらいヒドかったね。俺が知ってたのは、堺の鍋島力哉宅で会った永源遥や、明治大学柔道部時代からの知り合いだった坂口征二、それから、その弟子の大城大二郎、口は一度も利いたことはないけど、とても気になる風貌の山本小鉄、『失恋レストラン』を歌ってた清水健太郎にサインをもらいに行った時に会った、『永源さん、お腹空きましたよお…』の長州力の顔ぐらいしか知らなかったもんな」
百瀬氏はプロレス幻想ではなく、相撲幻想を持つ人物である。それは、もちろん自身の体験に基づくものに違いないが、それがゆえにプロレスに対して皮膚感覚では馴染めなかったのかもしれない。それでも百瀬氏は幼少の頃、力道山から直接サイン入り写真をもらった経験を持つほど、プロレスとは縁の深い人生を送っている。
だが、言ってしまえば相撲にしろ、プロレスにしろ、そのツボさえ把握できれば、より楽しく観戦できるのは間違いない。
(⬆︎“バカサバイバー”青木真也著『空気を読んではいけない』を出版した幻冬舎・見城徹社長が、『プライドの怪人』を出版していた頃の百瀬博教氏と一緒に写ったもの。
ちなみに当サイトでは、【連載】青木真也は本当に空気を読んでいないのか?を掲載中。『空気を読んではいけない』担当編集者・幻冬舎の箕輪厚介氏他が激白!
以下、その内容を一部紹介
▪︎「すべてガチンコでいきたい」
▪︎百貫デブ
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