本命

【『週プロ』師弟対談】ターザン山本!×市瀬英俊〈vol.3〉[なぜ『週プロ』と『ゴング』の表紙は被らなかったのか]

 今回は平成版『喫茶店トーク!』の番外編として、元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏とその部下だった市瀬英俊氏が時空を超えて再会! テーマはズバリ「『週プロ』とはなんだったのか?」。いやー、正直、ここまで濃いものだとは思わなかった。何はともあれ読んでみるべし。果たして、古き良き時代の風景がここに!?(聞き手◉“Show”大谷泰顕

(⬆︎「『週プロ』とはなんだったのか?」を語り出したターザン山本! 氏&市瀬英俊氏と『週プロ』編集長最後の号となった20年前の743号/96年7月23日号の表紙。ターザンカフェも絶好調!)

〈前回までの内容はこちら⬇︎〉
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(元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏が古き良き時代を熱弁!)


(⬆︎今回は、この号に関する話が登場!)

▪︎衝撃を受けた見開き大のページ

――あのー、山本さんが編集長になって、「密航」という言葉を使ったり、実際、激務の中で毎週徹夜して『週プロ』を作っているような伝説がありますけど、実際はどうだったんですか?

山本 市瀬くんは、ターザン山本! 体制の中でやりやすかったのか、やりにくかったのか。それが知りたいわけよ。

市瀬 それはやりやすかったですよ(キッパリ)。

山本 ほらあ!(嬉しそうに)

――別にやりにくかった、なんて言ってないですよ(笑)。

市瀬 原稿に対しても何も言われないし、山本さんは常に雑誌を売ることを考えていたし、そこにはすごく共感できたので、それに乗っかって好きにやらせてもらったっていうね。

――好きなことができたんですね。

市瀬 それと本人を目の前にして言うのはあれだけど、やっぱりいろんなことを教わったからね。無言の教えでね。

――背中を見せてもらったと。

市瀬 すごいですよ、山本さんは。僕が山本さんのことをすごいなあと思ったのは、僕が社員になる前にあった、アントニオ猪木×ブルーザー・ブロディ戦。たしか大阪城ホール(1986年9月16日)の試合だったと思うんだけど。

――ああ!

市瀬 猪木×ブロディ戦はその前の年の4月(18日)に両国国技館で初対決があったんだけど、そこからもう何回もやって、結構、みんな飽きていたというかさ(苦笑)。

――そんな感じでしたね(苦笑)。


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〔関連項目〕
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 ⬆︎Uとは? 長州とは? 元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏が古き良き時代を熱弁!

市瀬 決着もつかなかったし、内容そのものも手詰まりみたいな雰囲気があったじゃない。

――ありましたね。

市瀬 その時に山本さんは、二人が距離を取ってにらみ合っている瞬間を広角レンズで撮影した写真を、2ページ見開きでドーン! と使ったんですよ。それ自体は特に大きな意味もなかったカットだったんだけど、ああいう写真をドーン! と使うことで、読者の視線をグッと引きつけるというか、誌面として面白く見せるっていうのは、単純にすごいなあって。

――確かに。

市瀬 見開きでドーン! と使うのっていうのは、当時の僕らの感覚にはないんですよ。やっぱり、どうしてもあの場面を見せたい、この場面も……って写真をたくさん使いたがるものだから。それでも山本さんはそんなことはお構いなしで、自分のイメージに合ったものを載せたのを見て、その後、僕らはそれをとり入れてマネさせてもらったんだけど、やっぱりそのくらいあれは衝撃的だったよね。

――その見開きの2ページが!

市瀬 かと思うと、これは何度か山本さんにも言ったことがあるんだけど、第1次Uの時に、藤原(喜明)組長がクルックヘッドシザースを相手にかけたられた場面を二階席からアップでバーン! と撮らせてさ。相手の太ももにはさまれて組長が悶絶している写真を使ったんだよね。技の全体像はまったく分からない(笑)。

以下、その内容の一部を紹介
三連発の完璧な布陣の『東スポ』
一つの写真が持つ表現力を読めるか?
なぜ『週プロ』と『ゴング』の表紙は被らなかったのか

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