【2000字小説】 魂の手紙


 居酒屋メシが美味い。長い間酒も飲めなかった僕は、海を見に行った帰りに初めて入る居酒屋で独り酒をした。ここもかなり変わった。再開発と後継者不足で通ってた店も少なくなった。風も匂いも変わってしまった気がする。それは僕が歳を重ねたからだろうか。
 砂浜は何も変わっていなかった。ご時世だろうか、水着を着た人が少ない。懐かしい光景はもうやってこないのか。輝かしい夏の思い出。若かったな。僕も。
 光を浴びた波打ち際は、囁くように僕におかえりを言ってくれた。ここがホームなんだと思った。海の男だったのを思い出した。それも今となっては色褪せた記憶。
 街から街へ、港から港へ、流れながれ生きてきた。ドラマチックなことなど起きない、平凡な人生だと思ってきた。だが、冷静に考えると、僕の人生は誰にも真似できないユニークなものだった。唯一無二の物語。それは誰しもそうなのだが、自分で選んだのかどうか。それによって充実感も違う。僕はただ流されて生きてきた。それが良かったのか悪かったのか。
 独りで生きてきた。そう思ってきた。誰からも優しくされずに育った。世を憎んだ。それも自分で選んだことかもしれない。人を助けるという選択肢など思いつかなかった。尽き果てた愛を舐めるように味わってきた。味のしなくなったガムを噛み続けるように。
 こんな僕にも良い時代と思えた頃もある。誰かにとっては最低でも。クソにはクソなりの幸せがある。それを許容する社会はどんどん縮小している。もっと寛容だったと思える。潔癖社会は僕には息苦しすぎる。だから過ちを犯してしまったのかもしれない。塀の中ももちろん苦しかったが、また違った苦しみを感じる。窮屈さを感じる。
 あれは8年ほど前だ。自暴自棄になった僕は自分を失っていた。むしろ自分を失わずに罪を犯す人の方が少ないと思うが、僕はどうかしていた。誰かを助けるのと真逆のことをしてしまった。傷つけてしまった。それも酷く。その重大さに気がつくのにも時間がかかった。開き直っていた。誰も信じられなかった。そんな僕を救ったのは、言葉だった。
 いつしか僕も言葉を紡ぎたいと思うようになった。不自由な身で、馬鹿にされながら筆を取った。言葉を集めた。それしかできなかった。僕は変わりたいと本気で思ったのは、腐ってしまった周りの人間と接してきたからだ。だが人は蘇る。魂は死なない。それを教えてくれたのは言の葉たちだ。
 嘘は魂を殺す。僕にはこの言葉が突き刺さった。人を騙して食ってきたからだ。狡く生きてきた。それでもよかった。生きるために仕方なかったという言い訳を繰り返していた。自分にも嘘をついて生きていた。そう魂を殺そうとしてきたのだ。生きようとする魂を。
 それに気づいた僕は周りの人間を変えようとした。苛立ちをぶつけてきた。そんなものは何の足しにもならなかった。逆効果だとも言えるくらいに。でも一人だけ、塀を出る前に僕を抱きしめてくれた人がいた。魂を揺さぶられたと言ってくれた。その人は今も元気だろうか。店を出ると、懐かしい顔が照りつける太陽の残像と重なった。

 それから僕は自分に集中する生活に入った。金などない。社会のお荷物になった自分を惨めに思った。だが、どう時間を使おうと時間は流れる。どんな状況になろうと堕落せずに生きることもできる。かという僕にも居場所はなく、家に篭る生活になった。それでも言葉からは離れなかった。文字もうまく書けないけれどもノートに鉛筆で書き込んだ。それは自分にしかわからない、読めないものだ。
 僕には僕にしか書けない文字がある。文がある。言葉がある。かき集めた言葉を消化するように、何度も繰り返し書いた。
 頭が悪いと言われ、自分にも言い続けてきたが、良いのも悪いのもほとんど差はないと知った。人を助けることが全てを開くと学んだ。そこで浮かんだのは抱きしめてくれた人だった。 
 どこで何をしているのだろう。できる限り調べてみたがわからない。そこで僕はその人に向けて手紙を書き溜めることにした。いつか渡せるように伝えられるように。
 そこから徐々にパソコンのキーボードで文字を打つことを学んだ。一文字一文字探しながら、一通の手紙に何時間もかかった。だが漢字もわからず、読めないような文字を書くよりも伝わるようになった。
 しばらくして、努力する僕にブログを勧めてくれたパソコン教室の指導員がいた。開設して書き方を教えてくれた。そこから僕の作家人生が始まった。最初は一日中ボロボロのパソコンと向き合った。何もない部屋で虚しく感じることもあった。だが身体にはあの抱きしめてもらった感触が残っていた。震えた魂が脈打っているのを感じた。いつか届くように、誰かに伝わるように指を動かし続けた。


 数年後、ブログの更新は止まった。だがそれを誰も知る由もなかった。ブログ開設をしてくれたはずの指導員は、元受刑者だということで軽んじ、公開しない設定にしていたのだ。誰にも読まれないブログを彼は更新し続けていたのだった。何の反応もなかった。孤独死だった。

 その後、清掃会社が処理し、さらにボロボロになったパソコンのメモリは破壊された。彼の手紙は誰にも届かなかった。だが、彼の墓前には一通の手紙が供えられた。



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