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急性期病院・ICU・SCU(脳出血後の闘病)

普通に楽しく暮らしていた日常がガラリと。

起きて、お弁当作って、ご飯食べて
会社へ行き・・・・
休日はドライブしたり旅行へ行ったり・・・

誰もが普通に暮らしている日常
時にはそんな毎日が退屈に感じたり
イライラしたり・・・
泣いたり笑ったり・・・

そうやって普通に年取って行くんだろうな。と言う
そんな生活がその日を境にガラリと変わる

脳卒中。怖い。
健康診断で高血圧の診断されていて
警告もあって・・・・
こんな大げさなぁ。って
何もない人にとっては、その位の事が書いてある

目に見えないところだから怖い。

突然やってくる【脳卒中】
脳卒中というのも、何なのか?すら
良く分かってなかった。

当然身内に患者がでてくると色々と調べる
夜中も調べ続ける・・・
どんな病気か・・・
何をするべきか・・・
これからどうなるのか・・・
良くなるのだろうか???

手術の翌日。病院に足を運ぶ・・・

何の反応もない。

ICUに滞在出来る時間決まってるけど
出入りしながらなるべく付き添った・・・
呼吸はまだまだ自分でできない状態

目・・・覚めるのかな・・・
起きなかったりして・・・

その日、病院から帰る時
相方さんと共通のお友達がロビーで待っていてくれた。
ピーンと張り詰めて涙も出て来なかったのに
何故か涙がぽろぽろ・・・・
差し入れてくれたドリンクがとても嬉しくて
あたたかかったなぁ。
随分年下のお友達だけど精神的に心底頼りたくなった

両親があまり仲良くなく
父親は殆ど家にいなかったし会話も殆どない・・・
母親は病気したり何かと私に頼ってくる・・・
弟はいつも私に甘えてきていたから
一番私の話を聞いてくれて頼れたのは相方さんで
結婚してから、やっと私も甘えれるところが出来たと
思った所だったのに・・・

そして母親に心配かけたくない・・・
弱音はくところがなかった。

暗くなったり落ち込むと負けだと思った。

なのでお義母さんや義妹に・・・
そして自分自身に
常に力強い言葉をかけた。

「振り返っても仕方ない。
こうなってしまったものは仕方ない!
前向きに・・・
どうにかなる。良くなる!と
強い気持ちで支えて行きましょう!」
と。

後にお義母さんから
この言葉でこの娘についていこう
そうするしかないと思ったと聞かされた。

目が覚めない相方さん、そして会社へ行く日々

目が覚めないのに何日も会社休んでても・・・と
休み明けには会社に行った。
悪い事ばかり考えても仕方ないから。

実家から会社へ行き、病院に寄って帰る。その生活。

そろそろ目が覚めないとおかしいんですけどねぇ
1週間経とうとするころ看護師さんがボソリ・・・
調べる内容も植物状態から目が覚めた例。など
覚めない方向での調べ方に変わっていった。

1週間後の5月10日 相方さんの誕生日
呼吸も楽になるし気管切開しましょう。」
主治医に言われ気管切開の手術をした。
そして回復期病院を探すように。と話があり・・・
ソーシャルワーカーが挨拶に来た。

そして【SCU 脳卒中集中治室】に。

急性期とはなんぞや?
回復期とはなぁに???
回復期の病院ってどこがあるの???

刺激が大切

とにかく色々と調べると早いうちからの刺激
それが大切だと言う事が沢山出てきた。

脳卒中は3ヶ月~6ヶ月が勝負

気持ちに焦りもあったけど色々な手段を考えた。

マッサージ
足ツボ刺激やらなんやら・・・
音楽・・・モーツアルトを聴かせてみたり。
好きな音楽を聴かせてみたり。
ラジオで野球中継
焼き立てパンの香り
お守りの鈴の音(鈴の音の方に首が動いてた!)


病院側でもまだ目が覚めないうちから
リクライニング式車いすに乗せるなどの
リハビリが始まっていた

時々その起こす刺激で片眼があきましたよ。
と言った報告も聞く様になった。
でも・・・家族の前では
なかなか目を開けてくれることはなかった・・・

そして看護師さんから
体重が重すぎて車いすに移すのが大変です!と聞いていた。
倒れた当初の体重。約100キロ・・・
気管切開の時も主治医から
医「予定よりも時間かかりそう」
私「え?!大変なんですか????」
医「(クスッと笑いこらえて)いやぁ・・・首が短くてお肉が・・・」

脳外科のピリッとした医師が
笑いこらえきれず・・・・

そこで何だか主治医に人間味を感じたし
相方さん。さすが!と何故か感心してしまった・・・

SCUには病状がある程度安定するまでの?!1~2週間ほどいた

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