高槻芸術時間「インタールード」
私は今、劇場の前のヤウゼという喫茶店で、勢い余ってこれを書いている。開演前に久しぶりにランチを食べにきたら現金しか取り扱ってなくて、普段現金をほとんど持ち歩かないようになっていたので、とりあえず謝って、劇場で体験してから、京都銀行に行ってお金を下ろして戻ってきたところ。(ヤウゼのランチおすすめです)
感想を読めると思ったらいきなりこんな話で恐縮ですが、かつての高槻現代劇場で、Kと私は、初めて出会い、初めて一緒に仕事をした。あの場所が、私たちの出会いの場所だと言っても過言ではない。
劇場に通う日々は、決して楽しいことばかりではなかった。未熟である私のせいで、色々とうまくいかないことは山積みだった。でもそんな中で、最初はただの仕事相手だったKが、よくわからない関係になり、恋人関係になり、そして婚姻関係となって、父と母になるその「時間」のそばに、高槻現代劇場はいつもあった。本番ともなると私たち両親は2人揃ってこの場所に詰めなくてはならないので、今年6才になった時生が乳児の頃は、よくこの劇場にきた。
そういえば今、我が社stampでワークショップ事業をしてくださっている青木敦子さんと出会ったのもこの場所だった。当時の青木さんが、京都・大阪のアーティストと現代劇場を結んでくれたのだ。
でもそんなことすっかり忘れていた。いや、記憶にはもちろんあるけれど、この劇場に思い入れがあるなんて、思ってもいなかったのに、「9月0才」を体験して、私はその時の感情を詳らかに思い出し、それらが消えていくことを、じわじわと惜しんだ。そしてこんな私の個人的な体験よりももっと大きなこと・・・昭和の終わりともいうべき現象を、私はこの作品で目の当たりにした。
かつてたくさんの市民が結婚式を挙げたこの市民会館と、発表会や演劇の上演に使われてきた劇場の、表と裏を私たちは案内されながら歩く。かつて食堂のあった場所の据えた匂いは、バブルの残骸のそれのようだったし、式場に使われていた会議室でクルクルと回され続けているミラーボールは、その昭和感とともに、私も本番で使ったことを思い出させてくれた。緞帳や壁の絵、重い椅子、少し大袈裟な何もかもが、昭和そのものだった。
案内人はとてもジェントルに私たち(8人ぐらいの見知らぬ人々の集まり)を導くが、時に姿を消したり、ささやかな悪戯をしてきたりする。こういったナビゲーションが、参加者の自意識をツンデレに攻めてくる。全て受け身で、黙って歩きさえすれば楽しめるわけではない構造、つまり基本的には身を委ねることを要求されているのに、時々自主性を求められたりする構造に、慣れていない人が多い。でも、そういう人がたくさん今回の梅田さんを体験したこと自体が、なかなか無いことだと思った。
最初の段階で結末が見えてしまって、私は未来の自分に課せられるミッションを想像して笑ってしまったけれど、ほとんどの人は気がついておらず、その場所に立って初めて「そういうことだったのか」と呟いた。まるで、人生の逆再生みたいだった。大人になって、いろんなことの裏側を知って、でもその裏側を一歩、また一歩と歩いているうちに、気がつけば照明を浴びて舞台の上に立っていた、あの子供時代を思い出すというようなこと。そうか、こうやって、ただたくさんの観衆の前に立つ、照明を浴びて立つ、ということの単体は、昭和の遺物なんだ。この裏を知って表を知るというような逆再生にこそ、普遍性と新しさがあるのだろう。
途中、発表会会場と書かれた部屋に入ると、緑のワンピースを着た女の子が、下手くそなピアノを弾いている。それを見ているとなんだか涙が出てくる。ピアノって、昭和の家庭には必ずなかったですか?うちにもあった。アップライトのピアノ。あんなに貧乏だった我が家にも、あったのだ。そしてピアノの練習をしろと怒鳴られ続けた記憶まで引っ張り出しそうになり・・・慌てて蓋をした、その腐臭のする心の横を、緑のワンピースの女の子がゆるやかにふわっと歩いてくれて、私はとっても、癒されてしまう。
表に導かれて、黄ばんだどこかの会議室のカーテンが、国旗の代わりに掲げられ、その周りで女の子は、手をふっていた。その奥には秋の空が広がっている。こんな絵、見たことないのに、頭から離れない。
長髪のかたも結構な悪戯好きという設定で、私たちの前を歩くときはとてもすましているそのギャップが素敵だった。目がキリッとしたおかっぱ?の方も、何度も会ううちに親近感湧きまくったな。
でも何よりも最初の挨拶で、市の職員の方が「私がこの企画の発起人です」と挨拶なさったことに、私は感銘を受け続けていた。市の職員が、こういった、市民にはなかなか馴染みのない芸術をやろうとしてくださることに新しい息吹、つまり、令和を感じたのだ。
たまたま私は、この劇場に足繁く通う数年を過ごしたけれど、そうでなくても楽しめる構造だったし、もちろん、この劇場とともに人生を過ごしてきた高槻市民にとっては、掛け替えのない時間となったのではないか。私はここで結婚式を挙げたわけではないけれど、この「9月0才」を持って、式を挙げたことにしたいと思った。夫に伝えておく。
夫と出会わせてくれた高槻現代劇場さん、どうもありがとう。いやーよくわからない衝動的なレビューとなってしまいました。