スマートホン全盛期に失われていくもの
2022年、思えば遠くまで来たものだ。
僕は根っからの新し物好きで、新しいものが出たらすぐに飛びつく、いわゆる「アーリーアダプター」と呼ばれる人種だ。なので、新しいものこそ賛辞すれ、古い物にはしがみつかない…そう思い込んでいた。
実に静かな世界
世界は静かになった、と僕は思う。
昨今、近隣の保育園や小学校から聞こえる声や、救急車のサイレンにめくじらを立てる人々の声が大きくなっているように感じる。それは、おそらく「世界が静かになった」からではないだろうか。
僕は環境音が好きで、ただただ何かの音を聞くだけのために意識を向けることがある。それは湿気った本のページをめくる音だったり、レザーソールブーツの歩行音だったりする。僕にとっては、それぞれが独特で、とても心地の良い音たちだ。
同様に、心地の良い音を出していたツール達が多くあったが、今はそれらが失われつつある。
音が溢れた世界
PCの主流がゼロスピンドル(HDDや工学ドライブなどの回転する軸を持たないこと)になって久しい。全てはクラウドに収められ始めた。HDDはアクセス時にディスクが回転する音と振動、ヘッドが動く音が聞こえるし、CDや DVDも回転音、アクセス音が聞こえる。クラウドでは、我々一般消費者にはその音が聞こえない。
モデムという通信機器をご存知だろうか。アナログ回線の音声可聴帯域を使用した通信機器で1980〜90年代に全盛を極めた。平たくいうと、プロバイダーに電話をかけ、音声でデータ通信を行うシステムだ。プッシュホンなので、当然音が鳴る、ピポパプポプパ…プープープー…ピーヒョロロロ…ガー…ガー…ガー。今考えると実にやかましいのだが、当時は当たり前だった。
フロッピーディスク、カセットテープ、ビデオテープ、MO、MD…。皆、カシャン、ガシャンと音がした。音により存在を身近に感じられるツール達だった。
思考は音を発しない
人間は脳の進化に身体の進化が追いついていない、と言う話を聞いたことがある。いくら高度な脳を持っても、消化器官だったり筋肉は進化前の動物とそれほど大差がない。人体の構成要素の中でもジェネレーションのギャップが生まれているのだ。
そこに何となく、現代の音がない世界との類似性を感じる。
脳が動くときは音が発生しないからだ。その反面、身体は音を発する。空腹だとお腹がなる。水を飲むとゲップが出る。お腹が張るとオナラが出る。旧世代の身体は音を多く発生させるのだ。
近年の様々な変化は、脳とコンピューターの類似性を考えると納得ができる気がする。
スマートホン全盛期に失われて行くもの
それは、「音と感触」だ。
キーボードがなくなりキーのカチャカチャ音が消えた。音楽を聴く際のカセットテープを駆動する音や、CDが回転する音が消えた。どれもそのものの機能自体に必要ない物ではあるが、結果的に付随してしまっていた音だ。だから、無くなった。必要じゃないから消えていく。
でも、僕はそれが物悲しい。
子供のおもちゃを思い出してほしい、日常生活を思い返してほしい。そこには、必ず音と感触がある。近代の閉塞感と、何か物足りなさの一つに、それらの欠如が進んでいることが挙げられるのではないだろうか。
だから僕は
タイプライターを使う。キータッチとタッチ音の良いキーボードを使う。文房具を使う。ナイフを使う。革底のうるさい足音の靴を履く。何か色々ガチャガチャしたいんだ。この感覚が得られないから、スマートホンだけだと満足できない。
これが、人間が持つ本能なのかそれは僕にはわからない。僕の息子の世代はそんなことを感じないのかもしれない。でも、僕は、そんな世界は嫌だ。