ここまで生きてきたことをつらつら思う
「つらつら」とは「よくよく」と言う意味がある。この場合は漢字を当てると「熟々」。決してじゅくじゅくではない。また「辛々」でもない。確かそんなラーメンがあったな。いや、からくもないし、つらくもない。
昔に考えていてた「大人」に成れたのか。最近よく考える。
私が考えていた大人のイメージとは、今の自分は大きくかけ離れている思う。幼少期の大人のイメージはもっと大きく、もっと正しく、もっと秩序あるものであった。おそらく、学校教育の望むものの延長線上に「大人」という像を作りだしていたのだと思う。今の自分は、幼少期の頃と大きく変わらない気がするし理想を具現化しているとは決して言えない状態だ。
ただ、言えることは日々が地層のようにレイヤー構造になっていると言うことだ。しっかりと地ならしをした日々は、硬く頑丈になる。強固な自分を作り出す礎となるのだ。踏み固めないレイヤーはふわふわで、気持ちが良いが、強固な基礎にはなり得ない。居心地の良さだけでは人生は成り立たないのだと思う。
学校教育というのは、一つの理想的な何かを植え付けることに他ならないと思う。本来、違う方向を向いている様々な環境の人々を、ただ年齢が同じだからといって同じ部屋に押し込め、集団行動を覚えさせる。これは、一つの痕跡として人生に残る事になる。それが悪いと言うつもりはない。ただ、そうやってインストールされた物について「認識」できる様なることが望ましい鳥の視点で自分を真上から見下ろす必要があるのだ。恐らく、優れたアスリートはそうやって自分の動きを認識する事が出来るだろう。我々一般人はアスリートとは違うが、日々そうありたい。
つらつら考えて、さらさらと書いた。
主義主張は含まれている様で含まれていないし、同意を求めてもいない。ただ、浮かんだ言葉を書き出した。校正もろくにしないでアップロードしてしまおう。インターネットが普及した現代の良い点だ。もちろん悪い点でもある。全ての物は、利点と欠点を内包している。矛盾もある。そんなの当たり前だ。人間がつかっているのだからそうでなくてはならない。AIが普及し始めたこの世界、人間を人間たらしめる物は何か。そういった所なのかもしれないと最近思う。