痔獄の体験記 -生還-

痔獄の体験記 -生還-

これは今から8日前に痔で入院した時から現在までのレポである。

事の発端は18年前に遡る。
もよおした私は厠で思い切り踏ん張り、踏ん張り、いきみ、そして想定外の物まで産み出してしまった。
当時中学2年生。知識もなく自らの尻から出っ張った物を見て途方に暮れる日々を送っていた。

それから時は流れ20代。
あれから出っ張ったものは酒を飲む度もよおす度引っ込んでは出て引っ込んでは出てを繰り返し徐々に勢力を強めていった。
さながら三國志の曹操である。
それでも心に微々残る羞恥心が受診を引き留めていた。
しょうがない、乙女だもの。

そんな騙し騙しを繰り返し28歳の年末、事件は起こる。
いつもどおり便座の上に体育座り(※もうこの体勢でないと出なかった)で用を済ませた後紙で拭く。
が、おかしい。
異様に湿っているのだ。
恐る恐る見るとそれは真っ赤に染まったトイレットペーパー。
驚き便器を覗くと輸血パックを溢したのか?というくらいの唐紅。
羞恥心とか言ってられなくなった私は内科を受診。
Googleで調べた大腸がんの可能性を考え、死ぬのか?死ぬのか?という自問を繰り返していた。

実際にはそんなことはなく、大腸内視鏡検査の結果そこで初めて痔、と診断される。
すぐに手術を勧められるが、費用は15万円。
じゅうごまんえん!?!!?ムリ!!!!!!!!
何とか座薬と軟膏でまた騙し騙し過ごす日々が始まった。

そして31の春。
体育座りをしてもいよいよ出てこなくなった上に放屁すらままならなくなったわたしは目をそらし続けた肛門科を新たに受診。
一度見てもらっちゃえば羞恥心など吹き飛ぶ。
乙女心と秋の空っていうしね。
春だけど。

大腸内視鏡検査をもう一度受け、先生にウワッと小さく言われるほどの大痔主と成り果てていた。

ちなみにこの際鎮痛剤を打って貰っていたのだが、看護師さんが効き目の心配するほどノンストップで喋り続けていた。
30分。ガチノンストップ。時々先生が手術した方がいいよ!と相槌を打ってくれていたのは覚えているけど何喋ってたかまでは覚えていない。何やったんやアレ……

前内視鏡をしてもらった時の病院は自分の大腸を見せて貰えるタイプの医院だったのだけど、今回は体勢的に厳しかったので見せてもらえなかった。しょんぼりである。

しかし、大人しく(?)喋り続けた結果最後の部分だけ見せて貰えた。尋常じゃないほど真っ赤に充血していた。これはウワッと言われますわな……

そして鎮痛剤が切れるまでベッドで安静にしてたのだが、担当した看護師さんが『あの子、中見たいって言ってたけどダメだよって言ったら大人しーくしてたから最後だけ見せてあげたのw』『かわいいw』と会話していた。

私はかわいい。尻以外。

検査後また手術を勧められたが、この時のわたしには勝算があった。
そう、高額医療制度である。
新たに受けた病院の入院費は11万だったが、魔法のイエローカードを差し出せば4万弱まで下がるのである。
私は決意した。別に尻だからケツとかでなく。

紹介状を書いてもらい、入院前検査を済ませ、いざ入院日。

(ちなみにこの入院までもまだ騙し騙し過ごしては駄々を捏ねて秋を迎えていた。ええ加減にしいやホンマ自分)


当日は昼食を済ませてほしいとの話だったので済ませ、いざ入院。
夕食はおかゆと鶏の煮物と何かの汁(具無し)であった。
昼間最後のシャバの飯とばかりに胃に詰め込んでいたわたしは吐いた。自業自得。

そして第一の痔獄、下剤。
酸味というか酸だろこれ!?みたいな甘めの下剤を15分かけて400mlくらい飲まされる。
直前吐いて胃酸でやられていた私はこの酸が口内と喉を暴れまくる暴れまくる。
勘弁してくれ!!!!自業自得なのは解る!!!!だけどそこまで酷いことしないで……!!!!
水でなんとか騙し騙しつつ飲みきる。
私自分の事騙してばっかだな。
そして就寝。そして朝。
迎えに来る看護師さんたち。
私は午前の3番目らしく、手術着に着替え、そこから何だかよく分からない点滴を打たれてその時を待っていた。ちなみに6時半以降は水分も禁止に。
時刻、9時程。
ストレッチャーに乗り換え手術室へ。
頭にシャンプーハットみたいなやつを被せられ、そこで麻酔の説明を受ける。

ここで第二の痔獄、脊髄注射。
思い切り足をお腹に抱えるような体勢にさせられ背中を消毒される。
行きますよ〜の声に看護師さんたちが一斉にわたしを力強く抑える。
え、な、??と思うより早く激痛が走った。
そりゃそうだ、骨と骨の間の神経に無理矢理隙間こじ開けて針ぶっ刺すからね。
はえ!?!!?ぁ!?あ゙あ゙あ゙ゔッみたいな声出た。
痛いのは今だけですよ〜って看護師さん言ってたけど後に嘘と解る。

二の痔獄、手術。
ここは比較的マイルドな痔獄であった。
何せ麻酔が効いていて感覚が何もないのである。
どこを触られているかの感覚もない。無敵。
ただ生理痛みたいな鈍痛が腹部を襲っていた。
うつ伏せのためこちらからは何も見えず、原因はわからずじまい。
たまに看護師さんが声かけや擦りに来てくれる。
やば…天使やん……痔獄やけど天使はおるんやな!
余裕の出た私は摘出したモノを見せてほしいとせがんだ。ご快諾いただけたので見せてもらったところ、砂肝とハツを足して二で割ったような物体だった。
親指大3つ。
退院したら焼き鳥食べよ、と思う私であった。

術後。
再びストレッチャーで運ばれ病室へ。
時刻は10時。
本日は絶対安静と絶食を言い渡され、4時間経てば水分は摂ってもよいそうなので、それまで麻酔の影響もあり眠りについた。
度々看護師さんが痛み止めの点滴や患部の様子を見に来てくれる。
14時。水分解禁。
足の麻酔も徐々に切れ寝返りくらいなら動くようになっていった。

そして第三の痔獄、麻酔切れ。
これは本当にヤバい。

水分を摂り腹を騙し騙し(また騙してる……)満たしていると、尿意があるようなないような感覚が。
ナースコールを押すと膀胱の溜まり具合を見る超音波器で計ってくれ、溜まってるので出した方がいいですね〜と一言。
ただ麻酔切れ始め直後だと特に女性は尿を出すのが難しく、最終的にはカテーテルになった。
その判断をする前に四つん這いになって尿瓶を当てられるという羞恥プレイをさせられているのだが、割愛。

そして18時頃。
空腹で朦朧としながらヴィダーのような栄養補助食品をジュッと飲み干し早めに就寝。
しかし数時間もせず……

あ、あれ
なんか……

痛い??


うん???

あ゙ッ

あ゙あ゙あ゙あ゙ナースコール!!!!!!!!
痛い!!!尻から痔獄が産まれています!!!!あと便意すごい!!!!
新たな世界、創世記!!!!出しちゃダメ!?!!?なんで!?オムツはかせられてもーーーー!!?!!!??!!!?
ロキソニン!?!!?効かぬゥ!!!!
ナースコール二回目!!!!
ほぼ泣きながら痛みを訴えると筋肉注射を一本打って貰った。

………

めっさ効くやん………最初からそれ出せや…………

後にまた泣きながら二本目を打ち、最終的にはロキソニンに戻っていった。
いやロキソニン効かん言うとるやろ………

術後の次の朝。
カテーテルが抜かれ、最初の食事が配られる。
美味しい……美味しいよう………
ここの病院食は美味しいと評判らしく、秘かに楽しみにしていたのだ。
確かに美味しい。
私は束の間の幸せを噛み締めていた。

そして第四の痔獄、排便。
空の胃袋に食物を詰めればすぐに便意は襲ってくるもの。
ましてや夜にゼリー飲料を飲まされている。
看護師さんに伝え、初の排便トライへ。

……

………


ギッ!?

ギア゙ッ!?!!?
ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!!!!!!!!!!!!
あああ尻肉が裂ける!!!!!!!!!!!!これ無理だ!!!!!!!!と叫ぶ私に看護師さんはそれも必要ですから!と一声。昨日の天使はどこへ行ってもうたんや……!!
ちみっとの液状の排便と軽い出血とロキソニンも効かぬ激しい痛みをゲットして術後初の排便は終わった。

が、これは毎日続くので術後の麻酔切れより正直精神が辛い。
毎度毎度痛い。
が、座浴というお湯を溜めて患部をつける療法があるのでいくらかダメージが減算される。
偽りの加護+である。
痔もフォトンバースト的なとこあるし……ネ。(メギド72ネタなのでメギド72をよろしくな!)

あと宿便日記をつけさせられる。
それによって処方される薬が変わっていく。
私の場合は手術で血が減り貧血を起こしていたので鉄剤が処方された。

そして患部からの出血用に下着につけるパッドが配られる。女性からすれば簡易的な生理シートのようなものである。これを汚れれば変えていく。

そして大体は食事→薬→排便→ロキソニン→座浴→食事……と1日は終わっていく。
回を重ねる毎に排便痛は最初ほどではなくなっていった。
今では座浴でどうにか収まる程度まで回復。

そして明日、私は痔獄から退院となる。
生還したのだ。
ああ、勇者よ、よくやった。お前は英雄だ。
5日後にまた診察来るけど。

当分はお酒が飲めないこと、自転車・オートバイも禁止、デスクワークも重いものを持つのもなるべく禁止という制約がついた。
なんと温泉も禁止。
8日に箱根に行こうとしていた私は静かに落胆した。

まとめ

・痔獄に挑むには最低2週間~1ヶ月の休みが必要(医師は3週間は安静にしてほしいそう)

・いきみ5秒、3分以上はどんなに便意があってもトイレから出る(重要)


・痔獄は噂に違わぬ痔獄であった。


以上です。
痔獄からの生還レポを読んでいただき有難うございます。

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