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耳をすませば

『耳をすませば』1995年 近藤喜文監督

ビデオテープをデッキに入れる時の、手からテープが離されて向こうに吸い込まれていく感覚を今でもよく覚えている。「耳をすませば」のビデオも幾度となく滑り込ませた。

「見たい」と積極的に思うというよりも日常的に無意識に近い感覚で幼少期から何度も見た。主人公・月島雫の日常がたんたんと繊細に描かれている冒頭部分を繰り返し。団地の外装、部屋の間取り、物が多い玄関、テーブルクロスの柄、本棚の横に貼ってあるチラシ、朝食の入ったカゴ、雫が本を読みながらむさぼるお菓子…。単なる物質に正気を宿すのは生活者であり、その光景はとても尊いものだと思う。今の自分がどんな作品に対してもそういう「生活」の描写に注目して見ているのはこの映画の影響かもしれない。


数年前、舞台となった聖蹟桜ヶ丘に行った。駅前は商業施設がたくさんある。もちろん「耳をすませば」ゆかりの地ということで聖地巡礼マップなども置いてある。

丘を登るとまずはロータリーを中心に円状に広がる高級住宅街(ちょうど雫の友・ユウコが住んでるような家々)。80〜90年代に郊外都市として山を切り崩し(♪コンクリートロード)、ここに多くの人が移り住んだ。
高級住宅街の奥に、雫がいたような集合団地が広がる。
あれから20数年が経った今では、空き家、空き地もところどころに見受けられ、道を歩く人影はほとんどない。

少し調べたら、聖蹟桜ヶ丘は公開時の1995年が最も駅の利用者数が多く、その年を境に年々人が少なくなっている。当時30〜40代の親と子で移り住んだ核家族、成人した子供には「新宿から急行1時間」というのはあまりにも遠く、都心に家を借りる。残った50〜60代の親にとってこの急坂は生活するに身体の負担が大きい。
そういうことでこの郊外都市は今では閑散としており、「耳をすませば」で描かれたこの街の描写は、"今となってはもう見れない、ノスタルジックな風景"となっているのである。
同時期に「平成狸合戦ぽんぽこ」を制作したジブリであれば、それは意図的なことだったのかもしれない。  

公開年が自分の生まれた年でもあり、この映画とともに年を取っているとも言える。今もなおその魅力は色褪せず、オリビア・ニュートン・ジョンの「カントリーロード」に乗せて街灯が消えない夜の西東京を見下ろす背景にピンクの文字でタイトルが出るといつの日も同じように月島雫がいたあの街の中に入り込むことができる。この先10年、20年、何十年もその感覚を持ち続けられたら良い。


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