君はプリズム
自分で占いを勉強するようになってだいぶ経つ。
最初は占い師さんが話してくれることを自分でも掘り込んで理解したいと考えて読み始めた。
私の中の占いの相場は1時間1万円だ。
高いとみるか安いとみるかは個人の感覚だが、人生を重ねてきて
・絶えず勉強をして
・感性が磨き上げられた
・一緒の時間を過ごすことで運気が上がり
・知らないことをたくさん教えてくれて
・信頼できる
占い師さんにはこれは安いくらいだと思っている。
(どんな仕事もそうだよね)
で、自分で最初は趣味と練習で占いをやるようになって感じることがある。
だいたい生年月日やお名前といった、その人の「変わらない要素」で占いは見ることが多い。
宝石の原石のように人は多面的である。
仕事や友人、恋人、家族関係、クラスメイト、SNS、その人がアウトプットしたものなど、一面ではわからないものを展開して見ることができるひとつの方法が占いだ。
よくペルソナと言われるものがそうだ。
そしてそれをその場に応じて使い分けることができるようになるのが成長し、適応していくと言うことなのかなと思う。
良い部分、得意な部分はより美しく意識的に、苦手だなと思ってるところは人の手を借りたりうまく何かでカバーしたりというヒントを得、自分を「使う」方法を学び直すのが私が占いに期待することだ。
運がいい時期、悪い時期とかいうのも単純に光が今どこに当たって自分のどの色が出てるか、と言うだけの話で自分という原石は変わらない、本質は変わることができない。
自分を「諦めて受け入れる/そしてそれ以上のポテンシャルを見つけ出す」ことでよりよく磨くことができる。
子供の頃は自分がなんの特技があってなにを目指すべきなのかわからないことが多い。
自分の形が土の中にあってわからないのだ。
その土は冷たく硬い物か、または熱されて強力に蠢くものか、それはその人の環境でそこを正しく認識して分析しないと自分の特性はわからないだろう。
生まれたばかりの甥っ子やこれから出てくる血縁の占いをみながら、
まあゆうてもそれなりに苦悩しないと話してつまんないから…大人になるまでに適度に苦労して面白い体験して、君のプリズムを私が見られるように私も精進しよう。
と考えている。
私たちに届く光は一定で平等だが、どんな分散光が表れているのか自分ではわからない。
自分を学び続けるのも、おそらく生まれた意味の一つなのだ。
自分を放棄しない、見つめ続ける。
今日も君というプリズムは光を受けて、未知の輝きを生み出している。