にっき 5/8 0354
子供の頃は本当にお友達が作れない子供だった
詳細は省くし書き切れないけど、私はとにかく感じの悪い人間で、「気づかないことを本人にわざときつい言葉で発する」子供だし、今も対人関係は難しいと思う。
私は家や公園でも、例えば人気チームのサッカーの試合の良い席でも、興味がなければいつでも本を持ち込んで読むような「空気の読めない」人間なのだ。
たとえば私が今、公園の中心でみんなで遊んでいるように見えるとしたら私が知らない私が彼らには見えているのだろう。
公園、などという狭い界隈ではなく、私にとっては私ではない個々人の人たちが、それぞれの場所で見てきたものを
今ではなく、明日でもなく、いつかその人の気の向いた時に不意に教えてくれれば嬉しいなと思う。
私は私の人生を生きるしかなく、あなたはあなたの人生しかないので
「シェア」「共有」はその場限りのものだ。
それが、その場限りのものが、どれだけ素晴らしいことか。
自分の命、時間、お金、愛を目の前の人と分かち合えることがどれだけ幸せか。
私は結局、目の前のことしか大切に出来ない。
想像や妄想をするのはだいすきだけど、手にとれる時間やぬくもりだけが真実でもある。
妄想や想像を現実にした時だけそれは私の手に入るような気がする。
それすら一瞬の香りのように消えてしまうものだけど。
私はその香りや温もり、消えてしまうひとつひとつをこの阿呆な脳みそに私の形で記憶して、アウトプットしてみたい。
明日の朝、私が友人だと思っている人、大切に思っている人たちが幸せでありますように。
祈りは、こんな時に万能だ。
「言葉にできない祈りや愛や行き場のない気持ち」を、ただこうしてね、という祈りの言葉で昇華してくれる。
明日の朝日が無事に見られて、その日の予定が何事もなく済んで、大切な人が日々を優しく過ごせますように。
今が全て。