neighborディベートで考える、おばあちゃんの骨折。
neighborワークショップ。誰もがケアしケアされ得る社会をつくるための学びの場として連続開催し、先月3回目が行われました。
場所はいつもの尾山台タタタハウスです。
前回同様ディベートをしたのですが、今回のお題は、
『認知症の超高齢の同居家族が転倒、足を骨折。手術すべきである』
テーマを発表後に配られたトランプで偶数:肯定派と奇数:否定派に分かれました。
肯定派になったひとりが「ちょっとー、、わたしカンペキ否定派なのになんでこっちなの、、、」とぼやいていましたがディベートとはそういうもの!
粛々と議論に入ります。
超高齢なら手術で余計弱ってしまうんじゃないか。
入院中に認知症が進んでしまうんじゃないか。
手術せず歩けないままだと家で介護しきれず施設に入ることになるのでは。
骨折したままで痛みを薬で抑える辛さの方がしんどいんじゃないか。
本人は骨折しているのが分からず、治す辛さに耐えられないんじゃないか。
本人は骨折しているのが分からず、歩けないし痛い日々がただ辛いんじゃないか。
本人にとって、家族にとって、どんな選択がベストか悩みます。
実はこのお題は、このときneighbors(nieghbor会員)のひとりが抱えていた悩みだったんです。
ご高齢のおばあちゃんが大腿骨を骨折してしまったとのこと。
遠隔地に暮らす親戚はみな「手術した方がいい」と言い、長年お世話をしていた同居のお嫁さんだけ「手術しないで家にいてもらいたい」と言っていたと。
お嫁さんは、一緒に暮らしていたからおばあちゃんの意向が汲めるという自負があったようですが、結果的に手術をしたそうです。
そして、おばあちゃんは施設へ入所。
neighborsの彼女は、「本当に手術するのがおばあちゃんのためだったのか。ずっと介護してくれていたお嫁さんにとっては、どうだったのか」と悩み悩んでいました。
おばあちゃんを大事に思う気持ちは、それぞれ本物でも、ぶつかることがある。そうした現実の中にいたのでした。
ディベートの結果は、肯定派が勝ちました。
ただその結果だけでなく、その場にいたみんなであらゆる選択肢をともに見詰め、考えたことに価値があると考えています。
ディベート前に否定派だと言っていた参加者は「話し合っていくうちに自分の考えが大きく転換していくのを感じた。手術するのも、ありだと思うようになった」と話していました。
自分の考えを、自分から剥がして、俯瞰して考える経験になったのかもしれません。
neighborワークショップ、全3回を終えました。
が!まだまだいろいろ話したい、深めたい、という声が上がっています。
あらためて機会を設けますので、またぜひご参加ください。