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呼吸ができない2
オリンピック観戦に忙しくて日記は書けてませんが、まだ悩みは続いていて。
オリンピック観戦の緊張もあいまってるのかもしれないけれど、まだうまく呼吸ができない。苦しい。
遊んでいた二人とお別れした次の日には口元に大きなニキビ(吹き出物?)ができていた。顔にできものができるのもストレスの証拠で。普段はほぼできない。
私はそのことを素直に彼にぶつけた。
彼に話しながら考えた。自分にとってストレスになっているのは「何」なのか。
誰か一人の人と付き合うと決めるということが、私にとってストレス、というか、プレッシャーになる理由。
ほかの人と遊べない。ほかから誘惑があっても断らないといけない。
彼はそこだと思ってたみたい。
「ねいちゃんはかわいいからほかからの誘いがあるだろうからね。僕なんかはそんなのないから考える必要ないけど。」
うーん。それもあるかもだけど。今回あの二人に別れを告げたのは、彼らと会ってても、そこに時間使うならHちゃんと会ってたいって思ったからだし、セックスもすべて満足しているわけではないけれど、Hちゃんとは相性がよくて、ほかの人としてるよりだいたい気持ちいい。
そんな風に思えなくなったら、つまり、気持ちが離れたら、別れればいいわけで。そう考えると、これじゃない気がする。
子供ちゃんのこと。
確かにこれも気にはなってた。大人同士の出会いと別れはいいけれど、子供と仲良くなって、責任が取れるのか。
これもやっぱりある。
今まではあまりパパのところに行きたがらなかった子供ちゃんが、私も一緒に遊ぶようになってから、行きたがっているらしい。私のことは「お姉ちゃん」って言ってて、まだ表面的にはシャイなままだけど、一緒に遊んだり、うちで猫を追いかけたりするのが楽しいみたい。それが私だからなのか、ママとパパがそろっていたときのように3人でいられるうれしさからなのか、とか、ママに私のことをどこまでどう言ってるかどうかはわからないけれど。
どちらにせよ、親権はママにあって、土曜の夕方から月曜の朝まで彼のところにいる間の日曜の数時間だけ私も一緒に過ごすくらいなのだけど、子供にとったらいつもと違う場所で遊んだり、自分に好意的な大人に遊んでもらったりすることはとても楽しいことだろうから、彼が私と一緒に過ごすことを楽しみにすることは自然なことだろう。
そして私も全くいやではない。むしろとても楽しみ。もっと長くいてもいいって思うくらい。これは結構不思議で。子供は好きだしかわいいけど、めんどくさいって思ってた。学習塾で面倒見てたときも、かわいいけれど、帰ったらすごく疲れて、しまいにはいやになった。人数いたせいもあるし、親との付き合いが面倒だったせいもあるけど。大人二人だけでデートする方が絶対楽だし楽しいから、少しならいいけど、いつもはめんどくさいだろうな、って思ってたのに、毎週会いたいなって思うし、今度はこういうことしたいな、とか、こういうとこいったら楽しいかな、とか、思っちゃう。彼とは普段から二人で会う時間確保できてるせいもあるだろうけど。今まで満たされなかった母性や親から受け継いだ教師魂がわいて出てきてる感じ。それでいて最終的には責任がないから楽ってのもあるんだろうけど。そう、ばあばみたいな感じ。親はめんどくさいけど、ばあばは楽しいんだろうな。そんな感じ。赤ちゃんじゃなくて、すでに少しは言葉が通じるしね。
もちろん、別れたときに辛い思いをさせちゃうかも、って気持ちがなくはないけれど、子供ちゃんにはちゃんとほんとのママがいるわけで、たとえ私と彼が別れて会えなくなっても、長い人生の中での一つの出会いと別れで、少しの間のことだろうと思ってる。
じゃあ、何なんだろう。
彼と毎日会うようになってからというもの、世話焼きでいい人の自分がどんどん出てきてる。
仕事でやってるマッサージをしてあげたり、セルフケアを教えてあげたり、もちろんそういうの、無料でやってるし、ご飯もちょこちょこ作ってあげたり。そのときは材料費とかもらってない。たまに外食したときはごちそうになってるけど、彼はまだ求職中の身だし、元々私みたいに食べるの好きじゃないから、ファミレスくらいしか行ってない。この辺はちょっと遠慮してるかな。まあ、彼が稼ぐようになったら、かな。そして食べ物に関しては、ある程度はあきらめて、女子会で満たすかなー、とは思ってる。そこは残念だけど。その分自分で稼いでいかなきゃなー。
食べ物のところはおいといて。
私のいい人病については。基本私は誰に対してもそうで、それが、たまにしか会わない相手ならまあそれでいいけど、毎日会う人にそうなってしまうと、どんどんそれが加速して、いつの間にか自分で自分を追い詰めてしまいがち。それで何度も別れを繰り返してきたっていうトラウマと、そして何より…その姿が自己犠牲で家族や周りの人に尽くし、周りからは「いい人」だと言われながら、常に、私に恐ろしい形相で愚痴をこぼしていた母の姿と重なること。多分、これが、私にとって一番のプレッシャーというか、不安要素なのだと思う。
でも、私は諦めない。ここで立ち止まらない。怖いし、体は苦しいけれど、ここでやめたらまた成長が止まる。Hちゃんが最後の男になるかどうかなんて、わからないけれど、今彼のことがほんとに好きで、なるべく一緒にいたいと思っていることは本当だから、この機会に自分が少しでもこのトラウマから自由になっていけるよう、やれるだけやってみたい。カウンセリングで学んだことを実践してみる。今はどれをあてはめたらいいのかまだちょっとわかんないけど。
あー、とにかく早く体調落ち着いてくれないかな。呼吸が苦しいのはほんとにしんどい。
そうそう。昨日はセフレさんが来た。
セフレさんのこと、どうしようかって思ってたけど、彼との関係は恋愛でもないし、プライベートでもない。
彼と会うのは仕事として、で、時間帯も仕事の時間内。だから私の中で折り合いさえつけば、特に問題にはならないはずって割り切ることにした。
「誰かと付き合うなら、その人に対して常に正直でいい人でなければならない。隠し事もしてはいけない。」
それが私の「不自由な価値観」。
「自分が気持ちよく生きるために誰かに隠し事をしてもいい。」
私はこう書き換えをしていこうと思ってる。
実際、昨日セフレさんと会って、セックスして、それなりに気持ちよくて、ああ、やっぱりこの人上手だなって思ったけど、それはあくまでも「スポーツ」「仕事」で。そう割り切ったら、彼が帰ったあとはなんの余韻もなく、すっかり忘れてて、Hちゃんに対する罪悪感もなかった。
要するに、「罪悪感」というのは自分が「彼という相手ができたら隠し事をしてはいけない」「彼以外の人と決して交わってはいけない」と決めているからそれを破った自分に対して勝手に自分が感じてるわけで。そもそも「彼氏という存在ができたら、こうでなければならない」という前提がなければ感じなくていいはずだから。
もちろん、世の一般的なモラルや善悪で言えば、私がしていることは「悪」なんだろうけど、それこそ墓場まで持って行けば誰も傷つかないし、「悪」にはならない。病気でできなくなった奥さんを愛しているセフレさんを癒し、私自身も体に気持ちいいことをしてるわけで。そういう意味では「happy」を生み出してるから。
ただ、これを続けてて、自分の体がNOと言った時には、変えるべきだと思ってる。そうなったときに終わらせればいいと思ってる。
今のところ、私の判断基準はそういうことかな。