それは柑橘
私にとって国語は、好きと嫌いを極端に行き来する教科でした。
「このシーンでの登場人物の意図を答えなさい」のような設問が苦手で、テストの答案用紙に大きくついた赤い三角を見ては
「なんでよ…!」
と頭を抱える事もありました。
だけど、物語を読むのは好きで。
文章を追っていくのもそこまで苦ではなく、そこに添えられたさし絵にワクワクしながらページをめくっていました。
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さて、私が印象に残っている国語の物語は2つ。
どちらも柑橘類が出てきます。
1つめ。
白いぼうし 作・あまんきみこ
タクシーの運転手・松井さんとお客さんのこんなやり取りから始まる物語。
お客を乗せて目的地へ着く~とか日常風景だけなのかと思いきや、タクシーの車内という閉鎖空間から、だんだんと外へ、ほんのりファンタジックな光景へ。タイトルの白いぼうしは後半に出てきます。
柔らかくて、優しくて、澄んだ印象のあるお話です。
さし絵もすごくぴったりで、大きく描かれていて。
まるでタクシーの後ろの席に乗り込んだ時のような視点で運転手の松井さんを見ることができた絵だったかと記憶しています。
なんだか一緒に乗り合わせたような、そんな気分になれた気がして。
物語に入り込めた気がすると嬉しくなってしまうのは私だけでしょうか?
ところで、最初に挙げた会話のやりとり。
この書き出しがずっと頭に残っていたせいか、私はタイトルを「檸檬」だと思ってたんですよね。
冒頭で夏みかんですよって松井さんが言ってるのに謎の勘違い。
あらすじを確かめようと検索した時に、別の作者で「檸檬」という作品が引っかかり正しいタイトルが判明。
「あれ?タイトル違った!けどこれも好きだったじゃん」となったのです。
不思議な連鎖のおかげで、自分のお気に入りだったものを思い出す事ができました。
ということで2つめの物語はこちら。
檸檬 作・梶井基次郎
こちらは高校の時の教科書に載っていたかと思います。
純文学とか少し昔の文章って普段使わない言葉や比喩がたくさんなのでハードルを感じがちなのですが。これは比較的読みやすく何故かとても惹きつけられるお話でした。
まあ最初さらっと一度読んだだけではちょっと意味をつかめなかったんですが。
でも。
分からないけど、何故かもう一度読もうと思ったんです。
上の白いぼうしは児童文学でどこか青空の似合う雰囲気なのに対し、どちらかというとこれは曇り空のような。陰鬱な空気が終始漂う一人称視点の話です。話や世界観が暗いんじゃなくて主人公の心がひたすら煙っている感じ。
ただ主な登場人物が一人だけなので話を追いやすいかなと。
季節の移ろい、人の往来。店に置かれた品々。
「私(=作者)」の心も沈み揺らいでいるからそれらはガチャガチャした雰囲気で表現されている。
「私」のフィルターを通した京都の街並み、その中で見つけた壊れかけた家屋など、彼が求めた「みすぼらしくて、美しいもの」が伝わってくる。
読み進めているとなんだかぐんぐんと感覚に訴えかけてくるような文章。
その中でふいに登場する檸檬。
鬱々とした気分に支配された「私」がこの檸檬を手に行き着くのはどこなのか。
整合性とかオチとか、そういうのは意識してないのかもしれないです。
ぽつぽつと思いつきで「私」が行動し、展開していく物語。
だから唐突で「えっ何それどういうこと?」となるのかもしれないけれど、このつかみどころのなさが私は逆に気になってしまうというか。
人の心の雑多さとか病んでる時の闇の深さや危うさ。
春や秋の始めや終わりにふと感じる、理由がないくせにじんわり広がる不安のようなあのどんより感。「私」の闇は比較にならないほど深いのかもしれないけど、そういう苦しみを抱えながらも素敵な思いつきや美意識があったりと自分の心に従って生きている。
不確かでとても繊細な人間らしさをあの文章で感じられる気がしてならないのです。
作中に丸善が出てくるのですが京都の丸善だそうです。2015年にリニューアルオープンしたとの事。作品にちなんでレモンを置けるかごがあるとか、併設のカフェにレモンケーキが置いてあるとか。その辺の情報は全然知らなかったのでちょっと興味をひかれます。
作品は2つとも話や雰囲気は全く異なるけれど、中に登場する夏みかんや檸檬はそれぞれユーモアある使い方をされます。
どちらもすごく印象深い物語です。
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