復讐するなんてもったいない。でもやめられない人もいる。
私が大学生になってボクシングジムに通い始めた動機の一つに、兄弟にいつでも復讐できるようになろう、というものがありました。
今思うと、若かったと思います(笑)
ボクシングを始めたことで猫背がひどくなり、背中が硬くなってしまいました。
ただ、それ以上に、幼少期から私をイジメてきた兄弟に対する意識が変わったという良かった点もあります。
その結果。
復讐すると、相手と同じレベルになる。
復讐しようと意識している限り、同レベルである。
復讐しようとする相手とは違うと宣言するなら、相手を忘れられるような自分と、その自分に適した環境や人間関係を築こう。
そう思うようになりました。
ちなみに、暴力で問題を解決する人間は、次も暴力で問題を解決しようとし、そうこう繰り返すうちに、いずれ負けます。
暴力を用いて勝負をするということは、相手の物を奪おうとお互いに考えているでしょうし、世の中、上には上がいますので、勝ち続けるほど負けた時に失うものは多くなります。
ですから、あなたが復讐をしなくても、あなたが考える、すなわち人間ごときが考えつく以上の報いを天が用意すると思います。
実際は天罰ではなく、私たちの日々の言動に見合った結果が現象として起こるか、今世の宿題として体験させられるか、だと思いますが。
あと、私が観測する限りですが、イジメをする人間って、そもそも本人の家庭環境などに問題があるので、実は既に被害者だったりします。
例えば、私の兄弟たちは転勤族だった父のせいで転校が多く、新しい学校に馴染めなく辛い思いをしていたりと。
ですから、誰かを虐めている人間に対しては、その背景にある哀れな生活を配慮しつつ、関わらないようにするのが望ましいと思います。
誰かを虐めたり奪うこと以外に、彼らにはコミュニケーションの手段がないと考えることもできますし。
以上から、誰かに復讐することはコスパも魂パフォーマンス(コンパ)も悪いですし、相手に何らかの損失を与えようと思っても、自らの手を汚したらもったいないです。
では、その復讐したい欲をどうしたらいいか?
自分を成長させるための燃料として用いましょう。
私の場合、ボクシングジムへ見学に行くだけでも勇気が要りました。
ですが、兄弟への復讐心が私の背中を押してくれました。
ボクシングを続けて二年ほどが経ち、兄弟と対峙した際には、「こいつらはいつでもボコボコにできるな。だが、こいつらには自分の人生を棒に振る価値がない」と、冷静に余裕を持てるようになりました。
愛の反対は無関心とはよく言ったものです。
実際、兄弟たちはそれぞれの性格で苦労していましたので、私としては、「まあ、そんな人生になって当然だよね」と観察しています。
私は兄弟とは違いますので、彼らにかかっている先祖霊の霊障も解消し、彼らが今世の宿題を果たせるようにお膳立てをしました。
私が幼少期に受けた苦痛を、彼らにとってのメリットにして倍返ししました(笑)
復讐心に駆られず、そうした選択を取れた自分を誇っています。
そうは言っても、どうしても復讐心を捨てられない、わかっていても水に流せないという方がいらっしゃるのも事実です。
その場合、魂の属性の中の一つにある、“人に受けた恨み/つらみを忘れず、執念深く覚えている”という性格に該当しているからかもしれません。
ですから、世間では水に流すのを良しとする風潮がありますが、魂の属性は今世の宿題とも関わりがあります。
そのため、あなたが水に流せない性格であることも、あなたが今世の宿題を果たすために必要な要素となっている可能性があるので、ネガティヴに捉えないでもらえたらと思います。
どうしても忘れられない過去があったり、未来を前向きに生きたいと願う方は、ご相談ください。
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