世界に生かされているという視点
生きているだけで丸儲け、という言葉を耳にしたことがあります。
死んだらすべてが終わり。
そう捉えることもできそうです。
昨今の日本はギスギスしている印象を受けます。
生きていれば、こいつ◯ねよ、と思う機会が少なくありません。
満員電車の中や、人が多い都会ではなおさらかもしれません。
そして、こいつ◯ねよが、何の前触れもなく、こいつ◯そうに変わることがあります。
つまり、実行されていないだけで、他人の脳内で私たちは何度も死んでいる可能性があるわけです。
あなたは、脳内に何回他人を◯したか、覚えていますか?
捨てたゴミの数を覚えていないように、覚えていないかもしれませんね。
私たちは、いつでも死ぬ可能性がある。
ほとんどの人が、自分が今日死ぬとは思っていません。
私もそれに近い考えを持っています。
ですが、ある日、家族が発狂して命を落としていた可能性がゼロではありません。
安全だと思われていた介護施設にいたのに、元職員に命を奪われることもあります。
あなたの職場の誰かが発狂し、刃物を持っていて、たまたまターゲットにされて刺される可能性もゼロではありません。
私は10歳の時に二度、死を覚悟したことがあります。
毎日訪れる、日常のワンシーンでした。
その体験があってから、私は世界に生かされていると感じました。
あとほんの数秒にも満たない判断を誤っていれば、私は死んでいたと思います。
逆に言えば、私はまだあの時に死ぬ運ではなかった。
そして、今世の宿題を果たすことにフォーカスしている今なら、死ぬ時は死ぬタイミングなのだと、受け入れられます。
他にも道路交通関係で命を落としそうだった場面がありました。
通り魔事件があった日、被害者が歩いていた道と一部同じ道を歩きました。
実は死ぬチャンスがいくらでもある日常、死なないことが奇跡に近いような確率だったりするのかもしれません。
死にたくなるような体験をするかもしれませんが、生きていれば何度でもやり直すことはできます。
そして、現実を受け入れてやり直す姿勢が重要であり、その結果、いくらお金を稼いだかとか、どこまで社会的地位を高めたかは関係ありません。
もうダメだ、おしまいだ。
そう思うのではなく、今も生きているのだから、今からできることで何があるだろうか?
そのように考え、現実を変えていくことが重要です。
球体を作るには、物体をいろんな角度から磨く必要があります。
同様に、魂が磨かれるには、幸も不幸も、いろんな体験をする必要があります。
物質主義に惑わされず、生まれてきた目的を果たしましょう。
あなたの人生には意味があって世界に生かされているのです。
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