高学歴陰キャができるまで
学生の頃は、好みの女子への関心が、人生の優先順位として高かったような氣がします。
これが年齢を重ねることで、モテという概念になるのだと思います。
小学校の頃、モテていた男子は運動神経が良かった男子でした。
私は小柄で運動神経も良くなかったので、バカにされる対象だったと思います。
好きな女子と恋仲を噂されるのは、運動神経が良い男子。
勉強も中途半端で、目立つ良さがなかった私は、勝手に諦めていました。
兄弟からもイジメられ、劣等感に支配されていたことも要因だったと思います。
つまり、陰キャだったと(笑)
やがて中学生になると、学業もモテの要素に含まれてきます。
運動神経を鍛えることは難しいので、私は勉強に励むしかありませんでした。
実は容姿を磨くことの方が重要なのですが、当時の私は、容姿は運動神経と同じで磨くことが難しいと判断していました。
今となっては笑い話です(笑)
さらに言うと、学力よりもコミュ力の方が大事だったと思います。
ですが、私はコミュ障でしたので、順位としてわかりやすく数値化される学力の方に全振りしてしまいました(笑)
男女と話すことよりも学問と向き合い、コミュ障はますます重篤になっていきました。
しかも、彼女がいた男子に対し、学力マウントで見下していました。
男性としての価値全般では、完全に敗北していたのですけどね(笑)
女性に好意を持たれないということは、極端な表現をすれば、子孫を残す価値がない男ですから。
高学歴に対する執着は留まることを知らず、入学する大学が人生の全てとさえ錯覚していました。
学力が向上しても、コミュ力や人間力が同時に向上するとは限りません。
こうして、高学歴陰キャが誕生したのです。
高学歴だったのに就活の結果が振るわなかった要因も、お察しでしょう。
大学卒業後も高学歴の人生を体験したからこそ、わかることがあります。
高学歴なのに仕事ができない人は、コミュ力が不足している傾向があります。
一方、内部進学生たちはコミュ力も学力も備わり、人間力が高い人が多かったです。
同じ高学歴でも、大手企業に就職して社会で活躍できる人と、そうでない人とに別れます。
ですから、人を評価する際に、学歴だけで判断しない方がお互いのためです。
今となっては笑い話で済ませられますが、かなりの苦しみを味わっていました。
ちなみに、過去の私は霊障によって仕事運と人運が塞がれていました。
そのため、先祖霊の奉納救霊祀りによって霊障を解消した今となっては、それ以前の自分の人生の方向性が狂っていたことが、よくわかります。
もっと早く解消したかったと思う反面、早く解消していたら、自分の人生の変化をあまり感じられなかったとも思います。
ですから、自分の人生を元通りに戻したいと強く願い、私とご縁ができたタイミングが、その時なのでしょう。
頑張っているのに報われず、苦しい思いをしているあなたは、一度ご相談ください。
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