子育ての極意
上記の内容がすべてです。
それでは、一節ずつ解説していきます。
1,私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。
活殺自在。子供が今日死ぬのも明日を生きるのも、すべて親の行動次第。子が傷つけば、それを癒すのは親しかいない、という意味です。
2,我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない。
大人である私たちが当たり前に生活している場所は、子どもにとってはとても危険な環境です。
無垢で純真な子どもはあらゆるものに興味を示します。ふと目を離したすきにどこかへいなくなっている、といったことも多々あります。
子どもを守れるのは親だけだ。常に見張っておきなさい
という覚悟を問う一文です。
3,打ち砕かれよ。 敗れた者、老いた者を私が招く。
初めての子育てでは、どうすればいいのかわからないことで行き詰まることもあると思います。そんなとき、頼りになるのは先立ちである先輩ママ、パパたちです。
敗れた者=何らかの理由で子供を失ってしまった育児経験者
老いた者=両親(子供にとって祖父母にあたる方)、信頼のおける近所の年配方 などを指しています。
4,私に委ね、私に学び、私に従え。
子どもの「学習」とは、「模倣」です。子どもは親の言動をよく見て、それらをまねします。子どもにさせたいことは子どもの目の前で親が実際に取り組んでいる様子を見せることが大事です。
音楽家の子供が音楽家になるのは、精子と卵に音楽が刻み込まれていただけでなく、その子供の周りに音楽があったからなのです。(仮に、その子供を取り上げて、自ら作曲する人間がいないような普通の家庭で育てた場合、その子供はきっと音楽家にはならないでしょう。)
逆に、子どもにさせたくないことは子どもの前ではしないようにしましょう。
5,休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる
親にも子にも、娯楽など休息が必要です。
6,装うなかれ。 許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。
潔白を保て。この世の矛盾律を知るとき、救われるのは隣人愛を尊ぶものだけだ。
7,
―――許しはここに。
受肉した私が誓う
――――この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)
もうただの中二病です。元ネタよろしく聖書を参照してください。あれは神が言っているということで書かれたものなので現代において書き換えができないのが難点ですが、憲法とかと同じで意味解釈なら後からいくらでもできるので、其れっぽいのを思いついたらあとは支持を得るだけです。がんばりましょう。