中学時代の自分
今回は中学生時代を振り返りたいと思います。
前回の小学生時代からの続きなので、もし気になる方は小学生時代も読んでいただけると嬉しいです!
人生最初で最後の受験を終えて無事入学。
無事に受験に合格して(奇跡)星稜中学校に入学することになった私は、
小学生の時に叶わなかった一つの目標がありました。それは小学生の時は全国大会出場のチャンスが3回ある中で決勝戦で2回負けて全国に行けなかった悔しさがあり、全国大会に行くために星稜を志願しました。
人生最初で最後の丸坊主。
星稜中学サッカー部に入学すると、絶対にやらなければいけない事が一つありました。それは坊主です。
坊主とは無縁だと思っていましたし、野球部がするものだと思ってたのですごく嫌でした。ですが目標を達成したいのに髪の毛を理由に諦めることもしたくなかったので3年間坊主でした。(夏死にます。笑)
入学式を迎えると、各学年2クラスしかなく35人ずつと少数で、女子は1クラス7人程度で大半が男子、そして野球部とサッカー部が多かったです。
なのでサッカー部も丸坊主の星稜中学校は学年集会などの時は、ほぼ丸坊主の集団でした。(全員野球部みたい。笑)
髪の毛の話はこの辺にして、サッカーの話をしたいと思います。
星稜中学校は、県内の小学生時代に上手かった有名な選手が集まるのではなく、上手い選手は中学はクラブチームに入っていたので、どちらかと言うと小学生時代は、上手い子たちに隠れてた選手が多く集まります。(もちろん上手い選手が入る場合もあります。)
圧倒的な練習量で全国大会優勝を経験。
一言で言えば星稜は、とにかく走ります。試合で走り負けすることは全くありませんでした。圧倒的な練習量で県内の中体連の大会は負ける事がほとんどなく、クラブチームも混ざった大会でも対等に戦えていました。
私は2年生から試合に出場するようになり、一つ上の代がすごく強かったので2年生の時には、全国中学校サッカー大会で全国優勝を経験させてもらい(ちなみに僕決勝でゴール決めました。笑)、さらに中体連の部活動チームとして高円宮杯(Jリーグの下部組織やクラブチームが出場する大会)にも出場する事ができ、とてもいい経験をさせていただきました。
部の目標が全国大会優勝だったので、そこに向けての練習量(走り込み)は半端じゃなかったと今思います。
あれだけやっていれば全国大会優勝するに値していたと思います。もちろん勝負事なので練習量があればいいと言うわけではなく、運も味方したりと様々な要素がありますが。
超えることが出来ない先輩たちの壁。
3年生になった自分たちの代では、先輩を超えることが目標で全国優勝は絶対。高円宮杯でどこまで行けるのか?を目標にしていました。ですが全国中学校サッカー大会では、準決勝で敗退。高円宮杯にも出場できず先輩たちの壁は越える事ができず、悔しさが残る年となりました。
圧倒的な努力を継続すれば結果はついてくる。
中学時代を振り返ってみると結果を出すためには、過程がどれほど大事か。努力の量、さらに継続することが一番大事だと思います。あれだけやった(走りまくった)から全国優勝できたという成功体験があるので、今もセカンドキャリアで大卒で就職した人よりは劣っているかもしれないが努力の量で何とかなる。というメンタルは備わったと思います。
こうして中学3年間サッカーを中心に過ごし、その後星稜高校に入学します。
また気が向いたら高校時代を振り返ってみます。
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