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小学生時代の自分

小学生の時の自分はどんなことを考えて何をしてどんな毎日を送っていたのか?を書きます!

幼少期のNEGORO


石川県金沢市に生まれて、順調に育ち地元の小学校に入学。
私には3歳年上の姉がいて姉に対して「何かスポーツ始めないか?」と両親が話をしていて、その流れで「悠太もスポーツ始めるか?」と言われ出された選択肢がなぜか野球とサッカーのみ。笑
母親が絶対サッカーをやらせたい(サッカー選手かっこいいから)と強く思っていたらしく両方の体験に行き、理由は忘れましたが結果サッカーを始めることに。

そこから水曜日と土日の週3回はサッカーをしてどんどんが好きになり、気づけばもっと上手くなりたい!と空いている木曜日は所属していたクラブではなくサッカー教室にも行き始めました。
サッカーがない日は習字教室に行かされたり(よくサボっていたので途中で辞めました。笑)家の近くの公園でサッカーしたり、家ではウイニングイレブン、たまにデュエルマスターズをして過ごしてました。

母親監視リフティング

母親の熱量がすごかったので、家の前でリフティングを練習しなさい!と
回数(100回など)を決められ、それをやれるまで家入れません。ゲーム禁止。など制限をよくかけられて嫌々取り組んでいました。母親は家の窓からリフティングの様子を見ていて回数を誤魔化そうとしてもすぐにバレました。笑
ですが、達成した時にはすごく褒めてくれてその喜びは今でも覚えています。

試合の時には、いつも母親と勝負

大事な試合では、今日点取ったらスパイク買って?ゲーム買って?お小遣い頂戴?など常に勝利以外の何かを得られるように交渉していました。(生意気)
その代わり試合で不甲斐ないプレーをすると、帰りの車で家に着くまで叱咤激励を受けていました。(当時母さんサッカーしたことないくせに。と何も聞き入れていませんでした。笑)

人生最初で最後の受験勉強

小学6年生のときに本気でプロになりたいと思った私は、当時所属していたサッカークラブで一番うまかった先輩が地元の中学校に行かずに星稜中学校に入学しているのを見て、プロになるためには星稜に中学から行かないとダメなんだと思い親に相談。「私立やから受験あるよ?あんた勉強できんやん」と言われて親としてはどうせ落ちると思ったのだろう。「受験してみるだけしてみたら?」と言われました。
そこから火がついて受験日まで毎日勉強を必死にしました!

そして何とか合格し、小学校の担任の先生と両親には奇跡。と言われ星稜中学校に入学することに。

すごくサッカー好きな生意気少年だったと今振り返って思います。
次は中学生時代の自分をいつか書きます!

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