僕のおばあちゃんは差別主義者
おばあちゃんとの思いで
ねごとです。
小さいころから祖父母の家に行くのが好きだった。祖父母の家は実家から車で30分程の距離にあり、森や川に囲まれた田舎町にある。遊びに行くと当時流行していた遊戯王カードのパックを買って貰えるので、週末の度に両親に懇願し連れて行ってもらった。
遊戯王カードを買って貰った後は、祖父母とは遊ばない。3つ上の兄と近くの田んぼで魚を捕まえ、公園で野球やサッカーをして終日を過ごすのである。
今振り返ってみると、もう少し祖父母と遊べば良かったと思うのだが、まぁ子供とはそんなもんだろうと納得している。
夕方になり、公園から帰ってくる頃には当たり前のように泥まみれになっている。綺麗好きな祖母は、兄弟を外に立たせ、可能な限り泥を払った後に抱っこでお風呂まで運んでくれていた。お風呂の後はおいしいご飯である。母親の料理とは異なり、栄養価なんて考えない。緑は少なく、メインは茶色だ。兄弟が全力で美味しいと思える大好物を毎回たらふく食べさせてくれるのである。
祖母は孫が大好きで愛にあふれる理想的な人だったと思う。
ある暑い夏、祖父母の家に遊びに行った日、祖母の家から自転車で20分くらいの川に魚を捕まえに行こうと兄と画策していた。いつもは徒歩圏内の公園や田んぼで遊んでいたので、自転車で20分も移動するのは、当時の我々には大冒険ある。2m級の川の主を捕まえ、テレビで表彰されるかもしれない、、、!と大袈裟な妄想に胸を膨らませながら、兄が水槽や網の準備をしてくれる後ろをついて回っていた。
すると祖母が、いつもの優しい顔で言った。
「その川行ってもええけど、線路の向こう側は4本やから絶対に行ったらあかんで」
全く意味が分からなかったが、とにかく早く川に行きたかったので兄弟そろって、勢いよく了承した。
その日の釣果は全く覚えていない。おそらくいつも通り、メダカ、アメリカザリガニ、ミドリガメ、ヤゴ等が取れたのだろう。タガメやアカハライモリが取れた日は大将首を取ったかのように祖父母に自慢していた。
家に帰ってから両親に聞いたのだが、”4本”とは被差別部落の人たちを表現する差別用語だそうだ。普通の人は指が5本ついているが、部落出身の方は人格的に何か欠落しているという侮辱として指を4本だすジェスチャーと共に”4本”、”4つ”等と表現するらしい。同時に両親からは「絶対に祖母の真似をしてはいけないこと、部落出身者でも関係なく仲良くすること」を厳しく厳しく躾けられた。
大人になってから分かったことではあるが、祖父母の家の付近には多くの同和問題が残っている。家の近くを歩いていると「やめよう!差別!」等と書かれたポスターが散見される。
私の父は小学生の頃、部落地区出身の同級生に目を付けられいじめられていたことがあるらしい。それを根に持つ祖母は、時々そのような発言をしていたそうだ。
少なくとも小学生低学年であった当時の私には、日本国内にも差別が存在すること、また祖母がその当事者であることは、あまりにも受け入れがたい現実であった。
社会には極悪非道な悪者がいて、そいつらが社会を悪くしているんだと思っていた。より正確に言えば、そんな極悪非道な悪者がいて欲しいと願っていたのかもしれない。RPGの勇者になって魔王を倒す大冒険に出かければ、無事世界に平和が訪れるはずだった。
世界は綺麗な白と黒の戦いではなく、グレー対グレーの奇妙な戦いだ。