ラーハルトはバランが人外で同じ境遇だったから付いていったんじゃなくて『もともと““そういう子””だったんじゃないか』っていう話
本記事にはラーハルトと関係ないダイの大冒険の重大なネタバレが含まれています。
『ラーハルトはもともと““そういう子””だったんじゃないか?』
○ラーハルトの人間関係
まず本題に入る前に本編のラーハルトについてなんだけど、ラーハルトにゆかりのある人物で特筆すべきなのは
・バラン
・ディーノ / ダイ
・ヒュンケル
主にこの三人。
・バラン、ディーノ
(当たり障りのないこと書いてるのでこの枠内は別に読まなくてもOK)
バランとは自分の人生の半分以上を共に過ごしてきた仲で、その長い時間の中でラーハルトはバランからいろいろな話を聞いたんだろうな。
バラン自身や竜の騎士のこと。
バランとソアラの馴れ初めや結末。
一粒種のディーノのこと。
長い年月の中で、バランの心の苦しみや葛藤・家族への愛の強さ大きさを、ラーハルトはきっと作中の誰よりも長く触れてきた。
この世で唯一の理解者としてラーハルトは長年バランの側にいた。
そしてバランの理解者でありながら、小さいときに拾われ育ててもらった恩を忠義で返すというスタンスを貫くラーハルトは、バランの「ディーノを助けてやってほしい」という遺言に従って最終決戦に馳せ参じる。
長い時間をかけて積み重ねてきたバランとの絆があったからこそ、ラーハルトはディーノの元に駆けつけるわけだ。
ここまではね、結構普遍的というか違和感はないというか、長年お世話になった恩に報いるために!みたいな感じなんだろうなあとかぼんやりと思ってた。
問題は次の人物との出来事だよ。
・ヒュンケル
敵対する立場で出会ってラーハルトはヒュンケルと一戦交えるわけだけど、因縁とかここで会ったが100年目とかじゃなくて、互いに恨み合ってるような立場でもなく、本当にただ敵対している勢力同士の戦士として戦っただけ。
しかもこのたった一戦で決着がつくのでヒュンケルとラーハルトが接してた時間ってマジで短い。
原作なら89~96話の8話間でしか接してないし、アニメなら26話のラストシーン~29話のAパート半分まで。アニメは本編20分なので単純計算45分ほどだけど、バランの過去の語りとかポップやテラン城組の尺やラーハルトの今際の際の尺も入ってるから、ラーハルトがヒュンケルと接してた時間って実際にはもっと短い。
ヒュンケルを視認してからラーハルトが敗れるまでの時間って30分くらいなのでは。
そんな……そんなさあ!!?
命よりも大切な方とそのその方のご子息の今後、そしてそんな方から授かったであろう鎧の魔槍(※)を出会って30分やそこらの相手に託して死んでいこうと普通思える???
ただでさえ人間を憎んでるとか言ってたのにラーハルトめっちゃヒュンケル(人間)のこと信用するじゃんよ………泣いちまう………
※恐らくバーンから渡されたのをバランがラーハルトに与えたものなんだろうなと予測してはいるけど
・原作内に鎧の魔槍の入手経路の言及なし。
・ロン・ベルク「鎧の魔剣などといっしょにいくつかの武器を献上したときに云々」→鎧の魔槍をバーンに献上したという明言はない。
という不確定要素ばかりなのでいくらでも解釈のしようはある。
ただバーンって気に入った奴にはよく「これあげる^^」ってやってる(ミストバーンには実体を、ヒュンケルには鎧の魔剣、ハドラーには鬼岩城とオリハルコンの駒)ので、個人的には8年かけて説得(引き入れ)に成功したバランにも何かあげてそうだよなって。
○ラーハルトの人間性
……って感じ(上述)だったんだけど、よくよく考えたらこれヒュンケル相手以外にも当てはまるんだよなあ。
確かにラーハルトは人間を恨んでる。これはもう作中で明言されてる。
でも実際に迫害によって大切な人を失ってしまったら、人間とか魔族とか種族以前に他人を信用できなくなると思うのはワイだけかなあ。
話が前後するけど「オレの悲しみをただ一人わかってくれたのがバランさまだった」っていう言葉から推察するに、人間に限らずラーハルトの周りには味方になってくれる怪物も魔族いなかったってことじゃん。
普通そんな状況で他人を信じられる?って話なんだよ。
回復呪文というものが存在する世界なのに周りに誰一人味方がいなくて、そのせいで大切な人を失って。
その悲しみに暮れてるところにいきなり知らん男が現れて仮に「ワイは人外で」「これこれこういう事情で」って懇切丁寧に説明されても信用できるわけないだろ。
でもラーハルトはバランに付いていったんだよな。
上では茶化すように書いたけどアニメの描写からしてもバランのキャラクター性からしても別にバランは多くを語らなかったろうし、1から10までバランの事情を聞かなくてもラーハルトはバランに付いていくことを決めた。
加えてラーハルトの人間関係というかラーハルトがディーノ/ダイについて知ってる情報、
・ダイ
・バラン「最近とみに評判の高かった魔王軍に立ち向かう勇者の少年・ダイ……彼こそが我が息子ディーノだったのだ!」
・ディーノ
・バランさまの一粒種にして最愛の子。
・赤子の頃にバランさまと生き別れた。
・バラン「ディーノには人間を変えていく力があると私は見込んでいるのだ。」
これだけ。
バランと生き別れたのは赤ん坊の頃なので人格形成なんかされてないし写真がある世界でもないし悪魔の目玉とか占い師や魔法使いの水晶みたいな遠隔監視できるような配下とかアイテムを使ってる気配もない。最初の時点では自分で見聞きした情報一切なし。マジでディーノ/ダイのこと顔も性格も知らない。
ヒュンケル戦で絶命するので顔合わせすらできなかった。
更に自分が生き返った頃にはバラン自身が亡くなっているので、新たなディーノ/ダイ情報はバランからの一方通行の手紙に書き記されたもののみ。
>>長い時間をかけて積み重ねてきたバランとの絆があったからこそ、ラーハルトはディーノの元に駆けつけるわけだ。
なーんて上述しはしたもののいくら大恩あるバランの頼みでその人物がバランの子供だからってそんなほぼ何も知らん相手のために生き返ったばかりで最終決戦場に単身乗り込んで大暴れしてラスボスにまで立ち向かっていくとかラーハルトお前正気か?良い奴すぎでは???
ラーハルトの対人言動をまとめると
・バラン
初対面の全く知らない人に付いていく。これで自分の人生の道が決まる。
・ヒュンケル
死闘を繰り広げた出会って30分の相手に自分の全てを託して死んでいく。
・ディーノ/ダイ
まともに知ってるのは名前だけだけど死ねと言われたら死ぬの忠誠心を持って戦場に駆け付ける。
他人への信頼度がカンストしてる………………。
○““そういう子””
対人言動で特筆すべきなのは対バランだと個人的に思う。
繰り返すようだけど、他人から裏切られ見捨てられ母が死んでしまった直後にバラン(他人)に付いていくことを選んだ子供ラーハルトスゲーなって。
あんな目にあってどうしてラーハルトは他人(バラン)を信じることが出来たのかなあって思ったんだけど、もしかしてラーハルトって心根では性善説持ってるんじゃない?
確かに人間のことは憎んでる。
バランに付いていったのだって互いに似た境遇で悲しみを共有できたからという理由が大部分だと思う。
でもいくらバランが竜の騎士で人間ではないからってデカい括りで見れば““他人””であることに変わりはないのよ。
他人から取り返しの付かないレベルのひどい仕打ちを受けた。
普通そんな目にあったら例えなんて声をかけられようとどれだけ優しくされようと所詮は他人、腹の底では何考えてるかなんて分からん相手に心なんて開かないんだよ。開くにしても凄く時間がかかる。
でもラーハルトは初対面のバランに心を開いた。
これってつまり自分以外の存在も心のどこかで信じているから出来たことなんじゃないかな。
そう考えるといろいろと納得できるものがあるというか。
人間を同じく憎んでるバランとの違いとか顕著だよね。
バランのことを思ってヒュンケルはバランを諭すけど、バランはそんなヒュンケルの言葉を「キレイごと」と一蹴して逆上。
対してラーハルトは最初こそ「バランの悲しみがわかる」と囀ずったヒュンケルに激昂するけど、ラーハルトの過去に涙したヒュンケルとポップに「お前らにオレの悲しみがわかってたまるか!」じゃなくて「他人の悲しみを我が事のように……」という言葉を涙と共に紡いぐ。
人間の善性を信じているというかさ…………。
あとラーハルトといえば度々話題に上がる『上司の秘された過去を洗いざらい敵(他人)に話しちゃう』問題(コンプライアンスどうなってんだよというツッコミはとりあえず置とくこれに関しての擁護はないのでラーハルトはちゃんと反省しようね)。
「地上のゴミの人間どもに希望抱く権利などないわ!!バランさまがなぜあれほどまでに人間を憎むのかを知ればそんな戯言は二度と口にできなくなる!!」
って言葉もさあ~人間への憎悪は増し増しではあるけど人間にも痛む良心はあると思ってる裏付けにならない??
人間がマジでガチクズで地上のゴミだったらバランの過去を聞いてもなんとも思わないんだよなあ。
いやまあ実際にガチクズはアルキードにいたのでそのガチクズは半島ごと滅ぼされてしまったわけだけど。
でもラーハルトは人間全員が全員アルキードにいたガチクズじゃなくて、バランの境遇に心を痛めたり、人間が人間自身の愚かさにうちひしがれる心を持っていると思ってたからこそ話したわけじゃん。
ラーハルトとお母さんを迫害した連中だってアルキードにいたガチクズと同じ類いじゃん。
あんな幼い子を差別することに抵抗のなかったクズじゃん。
そんな良心の欠片もない人間しか周りにいなかったラーハルトが人間のことを『バランの境遇や人間自身の愚かさに痛めたりうちひしがれる心を持っている』って捉えてるの、聖人すぎんか。
題目から脱線したので修正および記事の結びに入る。
『ラーハルトはもともと““そういう子””だったんじゃないか?』
ラーハルトが人間を憎んでることに違いはない。
でもラーハルトは、人間、他人を信じることに躊躇いのない子供だった。何故なら『人間全てが悪ではない』と心の底では思っていたから(たとえ本人が無自覚でも)。
憎んでいる人間でさえ無意識に信じていたラーハルトは、初対面のバランを信じることに抵抗がなかった。だからバランについて行った。
憎んでいる人間でさえ無意識に信じていたラーハルトは、バランの過去を話してヒュンケルを諦めさせようとした。敗れこそしたものの、ヒュンケルとポップの涙を見たラーハルトは心を開きヒュンケルに全てを託す。
そしてディーノ/ダイ。
顔を見たことも声を聞いたこともどんな人柄なのかも知らないのに、忠誠するに足る人物であることを前提の行動に移すことができたのは、バランの言葉や自分以外の存在を信じることができる心をラーハルトが持っていたから。
自分の息子の言うことさえ信じることができないレベルで人間不信になってしまったバラン。それを悪いとは思わない。普通は誰だってそうなる。
そんなバランのもとで育ったにも関わらず、ラーハルトの根底には『他人を信じる』という心が残り続けた。
竜の騎士ですら侵すことができなかったラーハルトのその気高い心を尊ばずにはいられない。
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