原作コミック、ダイの大冒険読了。アニメより先のダイとバラン周りの感想。

文庫本版12巻《意外なる救援の巻》《真魔対戦勃発!!?の巻》を読んだときには泣き崩れた。

なんかどうしようもないほど涙が出てきた。

バランというキャラクターが好きだったので、人間を滅ぼすという目的は変わらなくとも竜(ドラゴン)の騎士の精神は健在であることを再認識できたのが凄くよかったし、大魔王バーンを討つと言い切れるその絶対的な自信・格好良さに痺れた。

竜(ドラゴン)の騎士の威厳みたいなものに感激して自然と涙が出てきた。格好良さに涙流したのなんて人生で初めてだよ。兄貴分が格好良くて涙する、みたいなのは漫画とかでは良くある表現だけど本当に実在するとはね。


そこから描かれるダイとバランの親子関係がまた良かった。
常に戦士の険しい目をしたバランが、ソアラのことになるとスッ…と目が優しくなる描写がたまらなくいい。
テランではあくまで敵対した者同士の強い戦士への敬意みたいなものが感じられたけど、ダイとの共闘以降のバランの姿は常に父親として息子を導くような背中の大きさが凄く印象的だった。
バランの二人への愛情の深さに涙が止まらなくなる。

ハドラー戦でダイが共闘しようって言ったらバランがムッってなるのも二人の違いが感じられてよかったし、ダイにソアラの名前出されるとたじろぐバランめちゃめちゃ好きだし、ダイが吹っ飛ばされたら我慢できずに飛び出すバランも好きすぎた。


ここからの怒涛の展開たまらね~ッ作者はマジで天才か?
二人がかりでいけば楽勝では?って敵に魔法力が使えなくなるという絶妙なデバフを用意する発想力!!天才でしかない。

竜闘気(ドラゴニックオーラ)で防御したときダイとバランで闘気の大きさが違うのめちゃくちゃ良かった。
もはやこの二人の比較という比較全てに““良い…””という反応が出てしまう。この二人好きすぎる。

土壇場で思念派とか試してみて成功するバラン格好良すぎる~!!こういう発想力も竜(ドラゴン)の騎士の遺伝子由来だったりするんだろうか。竜(ドラゴン)の騎士の遺伝子の戦闘センスは本当に最終戦までダイを助けてくれたもんなあ。

しかもここで人間が滅ぼす対象であることに変わりはないって断言してたバランがダイの味方の心配するのマジで本当に最高過ぎた。もう完全にダイの父さんだよこの人。


““バラン「…ダイよ…お前は私を信用しているか…?」
ダイ「…………つ…強さだけなら…誰よりも…」””


ここーーーーッッ!!!!ここ!!!!!ここのやり取りが最高に好き。好きすぎて泣いてしまった。
バランから信頼という言葉が出てきて困惑しつつも、戸惑いがちに強さだけなら……って頷くダイと、それに満足するバラン。これはもう本当にこの二人の今のこの関係でしか紡げない会話なんだよ。
敵対してる時じゃ例えバランが最高峰に強いとわかっていてもお前なんか信用できるか!ってなるし、逆にわだかまりが解けて普通の親子みたいに距離が縮まっていれば即答で信頼できるって言い切れちゃう。バランってそれだけ父親としても戦士としても全幅の信頼をおけるポテンシャルを秘めているので。


そのあとのダイの“バラン”って呼び方から“あの人”に変わってるのも良いね……戦闘を通じて距離が縮まっていくっていうのが竜(ドラゴン)の騎士っぽくて良いなあという思いと同時に、この二人に訪れていたかもしれない普通の親子のような関係を思うと切なくなってしまうな。


絶対に…失敗しないよね……!!っていうダイの問いかけに
絶対に大丈夫だ…!!って答えるバラン、そのバランの後ろ姿を見て小さく微笑んでるダイがもう最高なんだよ~~口では強さだけなら…と言ってはいたけど、本当にそうとしか思ってないならこんな笑み見せないんだよ。


この後の展開も目が離せないものだった。
倒れるダイを追いかけるためにハドラーを足蹴するバラン本当にただの普通の父親でさ~~。……うううっ……なんて心の底からの弱音漏らすのこれが最初で最後じゃないの??
共闘すると決まったときにディーノからダイ呼びに改めたけど、この切迫した状況になったらディーノと呼ばずにはいられなくなったバラン、今までどんな気持ちでディーノのことをダイと呼んでたのかと思うともう胸が張り裂けそうになる。
「ディーノなんて呼ぶなっ!!!!」ってダイが拒絶したときのことをずっと覚えてて、ダイの気持ちを優先してディーノって呼びたいのを我慢してずっとダイって呼んでたバラン……でももう自分の気持ちを抑えられなくなったんだろうな……

ここで初めて回復呪文を使う素振りを見せるバラン。
ソアラが瀕死の重傷を負ったときには使われなかった。
回復呪文はある程度生命力が残っている身体にしか効果がないと作中で描写が入るけど、愛していた人が目の前で死にかけてもう無理だと諦めるかなあ。無駄な足掻きだとわかっていてもそれに縋っちゃうのが人情だと思うんだ。のちのダイみたいに。
でもバランはソアラに回復呪文を使わなかった。
これは完全に深読みだけど竜(ドラゴン)の騎士って自動回復機能みたいなのが備わってるし、常に一人で戦う存在だから回復が必要な味方はいないし回復系呪文ってそんなにいらないと思うんだよね。
作中描写を見る限り原作ゲームと違ってベホマもベホイミもそんな万能な魔法じゃないし、バランの台詞から察するに魔法力使って回復魔法使うくらいなら竜(ドラゴン)の騎士は休憩でも睡眠でも取った方が効率が良いのかもしれない。
だからソアラが死んでしまったときは回復呪文が使えなかった。想像でしかないけどソアラが死んだのを機にバランは回復呪文の契約をしたのかな。これ以上愛した人に目の前で死なれないために。例え最愛の人がもうこの世におらず、船が難破して一粒種のディーノの生存が絶望的だったとしても。


その後の展開も涙なしでは読めなかった。
ダイの大冒険にはアニメから入った勢なので、アニメの部分まで知識はあった。
アニメ28話で語られたバランの過去では、バランが泣いてるディーノをあやそうとしてソアラに取り上げられるシーンがあったけど、同じ場面の原作にはそのシーンはなかった。アニオリシーンなんだろうなあと思っていたのであまりの不意打ちにビックリしたし、登場人物の涙に弱いのでダイの涙に釣られて泣きながら読んでたところにあんな……あんな台詞出されたら号泣するしかないでしょ!!!!!!
泣きながら寝崩れるダイを抱き止めて、赤ん坊の頃のほんのわずかな一時の思い出と重ね合わせるなんてさあ……!!!!!
竜(ドラゴン)の騎士という血生臭い戦鬼みたいな運命のもとに生まれたバランが、人生で享受した数少ない温かな思い出に思い馳せるとかさあ……この男に普通の幸福が与えられなかったことにもう涙腺が崩壊してしまった。


この後の台詞もまた良い!!!
ダイを眠らせたバランの真意が明かされるわけだけど、その真意がまた““良い””んだ……成り行き上だったとは言え竜魔人の闘争本能の赴くままにダイと、最愛の息子ディーノと殺し合いをしてしまったことを悔いていることが感じられる台詞がもう最高に良い!!

その後のバーンの私見も良い!!
バランが普通に竜魔人と化してもハドラーとは互角くらいだった可能性があるわけだ……““相手が自分より強くても我が子を守るために凄まじい力を発揮して逆襲してくる””って言葉がそのまま当てはまるのかと思うとバランのディーノへの愛の深さも推し量れるよね。


そして訪れる父・バランの死。
地に墜ちたバランが口にした名前はディーノではなくダイ。
自分の死を悟っているにも関わらず、その口から出るのはダイという名前のみ。これ以降も、バランの口から出るのは(生前を除いて)ダイの名前のみになる。

この心境の変化はなんだろうとずっと思っていたんだけど、今際の際に残したバランの「お前を育てた怪物(モンスター)というのは私などよりずっと正しい人の心を持っていたのだろうな」「私の死などで泣くことはない。お前にとってはその方が父だ」という言葉たち。
推測でしかないけど、バランは息子ディーノに、自分たち以外の親がいることが嫌だったのかな。
自分たちが一番息子を愛しているのに息子は自分たちを親と認識してくれない現実、親と認めさせることができない自分の無力さ、ディーノは生きていたのに死んだと諦めてしまった自分の不甲斐なさ、自分が諦めてしまったがゆえに息子が持った血の繋がっていない家族、自分が諦めてしまったがゆえに息子と暮らすことのできなかった11年の過去……いろんなしがらみや悔恨の念にバランは囚われていたんだと思う。

そんなバランが最期の最期にダイという““自分ではない誰か””に育てられた息子の存在を受け入れた。
どうして受け入れることができたのか。
そればっかりはどれだけ考えてもわからなかったのが悔やしいような嬉しいような。
読解力の低さ悔しさを覚えつつ、そういう真なる心の動きは本人だけのものであって欲しいという気持ちもある。当事者ではないこちらが察せられないというのは、それだけそのキャラクターにはそのキャラクターにしかない苦悩があることの、そのキャラクターが生きたことの証明になると思っているので。


そして父・バランの息のあるうちに、バランのことを父と呼べなかったダイ。
死んでしまってから父さんと呼んでもその声は届かない。
その後悔と父が死んでしまった悲しみにダイと一緒にこっちまで涙するしかないと思っていたところにまさかの展開ですよ!!!!!!!ああーーーーこんなん誰が予想するんですかァ!!!!!???????

ここ読んでるときリアルタイムで同じ感想書いたけど、永劫の別れとかじゃなくて、死することでダイの心にバランの魂と思いが流れるという竜(ドラゴン)の騎士の親子同士でしか描けない、この二人のみの絆の形が見れて感激したし、作者はやはり天才だ……ってなった。
バランは死んでしまったけれど凄く心が温まった。

二人して……死んでから互いに素直になってさぁ…!!
この親子不器用すぎるでしょうがよ!!!
って感じだったけど、でもそういう二人だったから惹かれてアニメから原作にまで入ったんだよなあ……としみじみ思った。


そしてダイが父の魂を見て、魂去ったその先にあったのは太陽。
ソアラがバランの太陽であったように、ダイが仲間たちの太陽であったように、バランもダイの太陽になったんだな……。


話は進んでラーハルトの蘇生と、最後の手紙。
ソアラとバランの馴れ初めと行く末を部下のなかで唯一知っていたラーハルト。
ラーハルトが7つの頃にハドラーと人間たちの戦いが始まって、短くてもその戦いは一年以上は経過しており、戦いが終わったのが13年前。
バランが家族を失ったのが11年前、それ以降にラーハルトがバランに拾われたと考えるとちょうど今のダイくらいの年頃か。
二人が上司と部下よりも深い信頼関係があっても何らおかしくはないよな……ラーハルトのあの育ちようから言ってバランの教育に間違いは起こらなそう(人間への憎悪は除いて)。
話が前後するけどだからこそバランはダイを自分の手で育てることが出来なかったことに悔しさを覚えてそうだよなって。

意気消沈としながらも、結構強い言葉を使ってラーハルトにディーノという呼び方をしないように求めるダイ。
バランが死んでからも2~3回くらいバランの魂に出会ってるダイだけど、そのバランはダイのことをダイとしか呼ばない。
ディーノと呼んでくる生きていた頃のバランとその最期を思い出しちゃうんだろうな……。


戦闘面の描写に関してはもうウギャアーーーーーー!!!!!!(爆裂四散)としか表現のしようがない。
最高に胸熱だし最高に格好良い。
言葉にすると格好良さが陳腐になるのでウギャアーーーーーー!!!!!!(爆裂四散)ってなりましたとだけ書いておくけどこの作品ウギャ(略)ってさせられる回数が多いので読んでるとめちゃくちゃ疲れる。
その度に爆裂四散しながら格好良さに涙流してるこっちの身にもなってくれ!!もうダイの大冒険で何回泣いたか覚えてない。むしろ泣きっぱなしだったので泣いた回数(一旦涙が引っ込んだ回数)自体はそう多くないかもしれない。



そしてどんな作品でも訪れる、晴れやかだけどどこか寂しい最終話。《さらば!!!愛する地上よの巻》。
ダイが選んだのは両親と同じ道。
このダイの大冒険という物語が始まる切っ掛け一つであるその道を、物語の締めくくりとして選んだ作者。
にくいよな~…今までどれだけ苦境に立たされても諦めずに状況を打開してきたのに、一番最後でこの展開。
ソアラとバラン出されちゃこっちは何も言えないじゃんよぉ!!
親の子なんだな…………としか言えなかった。
ここでようやく気が付いたんだけど、バランってソアラと同じことしたんだね。
親が子を庇って死んだ、という解釈だったんだけど、もう少し広い視点で見ればバランも愛する人・大切な人を庇って死んだんだなあ。
親の子だし、似た者夫婦だったんだ。



この先、ダイが地上に戻ってくるかはわからない。
レオナという存在とバランからの言葉、ゴメちゃんとの約束。
バーンに宣言した自らの言葉。
どちらにも取れるまま、ただダイの生存のみを示して物語は幕を閉じる。

この曖昧さを是とするか非とするかは読み手それぞれの意見だし、ここに書こうとも今後書こうとも恐らくは思わない。
というか読み終わったらいろんな感情がごっちゃ混ぜに吹き出て書けそうもない。

読了したばっかりの今、この作品に言えることは一つだけです。


素晴らしい作品でした。
このダイの大冒険という作品に出会えて嬉しかったです。




(この作品にはそれぞれ監修・原作原案・作画の三名のクリエイターが主に携わっていますがあえて““作者””の一纏めで進行しました。)




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