
紺色との結婚
「マキは、ほんとうに紺色が似合うねぇ」
幼稚園の卒園式。もしくは入園式だったかもしれない。
わたしは紺色のワンピースとボレロに身を包んでいた。ワンピースの裾からは、ハイソックスのフリルがちらちらと見えている。
紺色が似合う。
それは不思議な言葉だった。
「好き」とか「可愛い」ではなく、自分と服の相性を示すことばがあると知った。
園庭にしゃがみ込んだ母が、誇らしそうにこちらを見上げる顔を今でも覚えている。
しかし一緒に思い出すのは、ムスッと口を尖らせた自分だ。
紺色。なんてつまらない色だろう!
色鉛筆にさえ入っていない地味な色。
青っぽくも黒っぽくも見える、よく分からない色。
そんな色が似合うって本当にいいことなのか。
わたしだってピンクとか赤が似合いたい。
しかし七五三でピンクのドレスを着せてもらうと、5歳には悲しすぎる現実が突きつけられるのだった。
チュールで飾り立てられた首元からは、マッシュルームカットの頭がひょろりと生えている。
一重のさっぱりした顔に赤い口紅も逆効果で、男の子が無理やり化粧をされたみたい。
ピンクや水色を「かわいいなぁ」と思う気持ちは、わたしからピンク色への片思いだった。
わたしが好きでも、向こうはこちらを選んでくれない。
ときどき手に取って胸に当ててみても、首から上下はやっぱりチグハグ。着られまいと服が抵抗しているかのようだった。
それと反対に、紺色が似合うのはまるで紺色からわたしへの片想いなのだった。
中学のセーラー服、体育のジャージ、高校の指定カーディガン、大学の入学式のために買ったスーツ。
紺色からのアプローチは熱烈で、わたしの気持ちとは裏腹に着る機会が増えた。
なぜなら紺色は、大人が子どものために勝手に用意した「学生らしい」「きちんとした」「華美ではない」色でもあるのだ。
薄い顔と細い身体がセーラー服に収まると、鏡の中には絵に描いたように真面目そうな学生が立っていた(実際そうだったのだけれど)。
優等生であることがコンプレックスでも誇りでもあった十五歳の自分。
制服まで似合ってしまう自分の聞き分けの良さを、手放しでは喜べなかった。
「つまんない」色が似合ってしまう自分は、たまらなく「つまんない」奴なのか。
「華美ではない色」という校則の抜け穴を突くように学年で唯一真っ白なカーディガンを羽織って通学したのは、ささやかで可愛らしい抵抗だった。
大学生になると、待ってましたと言わんばかりにいろんな色を身につけた。
赤、辛子色、ロイヤルブルー、薄ピンク……。
どの色も、服になって自分の胸に当てるとようやく現実味を帯びた。
そうか、あなたはこういう人だったのね。
名前だけ知っていた友人の友人にようやく会えたような感覚で、多くの色と出会い直した。
クリスマスの広告から飛び出したような鮮やかな赤が似合うことを知り、黄色はどんなトーンを選んでも仲良くなれなさそうだと知った。
そうして鏡の前で「いいじゃん」と「なんか違う」を繰り返し、ときにはバイト代をタンスの肥やしに変え二十歳を超えたころ。
紺色の素晴らしさが次第にわかってくるのだった。
紺色。なんて心強い色だろう。
Tシャツだろうが、ニットだろうが、ジャケットだろうが、紺色にするだけで大ハズレだけは避けられる。
どんな場所へも、誰との用事でも来ていける。
大好きな水玉模様だって、紺色なら大人になっても堂々と楽しめる。
つまらない奴だと思っていたが、着るたびに相性の良さを見せつけられてしまうとどうしても気持ちは揺らぐ。
そうしてついに、大奮発して2万円の紺色のシャツを買ってしまった。
秋口から初夏まで着れそうな綿100%の薄手の長袖シャツ。
ハンガーと一緒にその肩を掴み、思わず手が止まった。
他のシャツよりも一段と細かく織られた布地はスルスルと滑り落ちそうで、着てみると身体は服の中でも自由で気持ちがいい。
コットンで作られたサテン生地は、光を舐め回すようなサテンのイメージからはほど遠く、光の角を取ったような明るさがにじむ。
湿度の低い艶やかさをまとった紺色は、子どものための「華美ではない」紺からは遠く、大人の色だ。
どうしようどうしようと夫よりも長く悩み、えいっ、と飛び込むようにレジのカウンターに飛び込んだ。
こんなの、紺色との結婚じゃないか。
二万円超えの合計金額に恐る恐るカードを出しながらふと思った。
人生で出したことのない金額を、こんなに普通の紺色に使ってしまった。襟も形もこんなにシンプルなシャツなのに。
でも最初から、こうなると分かっていたような気もする。
だって紺色は、ずっとわたしに似合っていた。
紺色に長く愛されて、だからこそ嫌気がさした時期もあったが、やっぱり自分を愛してくれる色を着るのは幸せなのだった。
ようやく受け入れられた紺色とわたしの生活は、夏の終わりから始まった。
東京出張できちんと見せたい日は紺色のスカートと合わせてワンピース風に。
流行りのミニスカートが履きたい日はタートルネックと合わせて大人っぽいカジュアルに。
来週には友人との食事にも一緒に来てもらう予定だ。
自分で選んだ紺色と過ごす冬を、わたしは楽しんでいる。