日記(2024/9/25、28)
ちょこちょこと書いている日記から、今週の二日分を抜き出しました。
2024年9月25日(水)
好きな作家の日記本を買う。
最近は日記本の新刊が多く、一つのジャンルとして成り立つ気配を感じる。
本来の意味の「日記」と、日記という形式をとりながら他人に見せるために書かれた「日記本」が別物なのは、書き手も読み手もうっすら理解していると思う。大きな魅力である秘密性を排除して、それでも日記本が流行る理由はなんなのか。
日記という形になるだけで、他人の内心と日常を盗み見る背徳さが全体にまぶされるのか。文章のまとまりよりもその瞬間を切り抜くことを重視した結果、既存のエッセイでは書けない・読めない文章が生まれる可能性を秘めているのか。
いくつもの仮説の中でふと「わたしたちは通常のエッセイすら長く感じるほど集中力を失い、日記本が魅力的に見えているのでは」という仮説が生まれた。
恐ろしくなった。
2024年9月28日(土)
電車でスマホを眺めていると、白い影が視界を横切った。
たんぽぽの綿毛だった。
なぜこの季節に。なぜ車内に。
でも虫じゃなくて良かった。
灰色のツルツルした床ではなく、どこかの座席に無事着陸してほしい。
そしたらわたしは毎日その車両のその座席に座り「おっとこぼした」みたいな顔で、ちびちび水をやり続けよう。
やがてJRの青色の座席に美しく映えるタンポポが生える。乗客も職員も首を傾げる。
「抜く?」
「いや、でもせっかく生えたのになぁ...」
邪魔だと感じつつ誰も花を抜く当事者にはなりたがらない。通勤ラッシュの最中でも金曜日の終電でも、その席に座った人々はタンポポのためにお尻をずらし続けるのだ。
たんぽぽはパイル生地に根を生やせるだろうか。
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