ワークシェアってなんだろう? ~競争から共創へ~
ランサーズの根岸です。
最近、ランサーズに、アソビューから仲間が来てくれた。元気で、フレッシュで、アソビュー大好きな女性だ。明るいキャラクターなので、いきなりランサーズの輪に溶け込んでくれた。一緒に仕事ができるのが楽しみで仕方ない。
で、ワークシェアってなんだろうなぁと。ちょっと考えてみた。
ワークシェアのきっかけは、以下の山野さん(アソビュー代表)のnoteを参照してもらいたい。僕のnoteと真逆で、丁寧に、真摯に書かれている。
山野さんのnoteを読んでいただいた前提で話をすっ飛ばすと・・・雑w。
コロナで加速されたのは間違いないが、そもそも雇用の在り方や組織の作り方、経済の廻り方など、大きく変えないといけないタイミングが来ているということだ。
いわゆる企業間でのこういった連携は新しい取り組みだが、でも実は、事例がないものではないとも感じている。
スポーツの世界は、ワークシェアで成り立っている
観る人を興奮させたり、希望や夢を見せたり。万国共通で政治は分離しようとなるほど、根源的で、人間的で、魅力あふれるのがスポーツだ。そんなスポーツの世界は、そもそもワークシェアで成り立っている(例外として、敵が大自然の場合はある)
例えばサッカーのリーグで、15チームあるとしよう。優勝という1枠の栄冠を目指して戦っている。端的に言えば、全部敵です。
敵なんですが、敵がいなくなったら成立しないのがスポーツのポイント。15チーム中1チームが経営破綻したらどうなるか。14チームの試合数が減る。チケット収入が減少する。リーグの再建に時間をとられる。ライバルが少ないスポーツは、魅力度が下がる。魅力が下がると、さらにチケット収入が減る。スポーツは、ライバルの存在があってこそ、自チームも成立するんです。実は、敵は仲間なんです。
それにつながる形で、もう一つ。
ライバルと切磋琢磨の試合を魅せるから、観客にとってエキサイティングだし、チケット代を払ってでも観たくなる。逆に、いつもワンサイドゲームばっかりだったら、ツマラなくなっちゃうよね。
そこで、トレードやレンタル移籍。Aチームでベンチを温めていた選手がBチームに行くと中心選手になることもある。同じ人間なのに、活躍の場を変えるだけでそうなる(これについては過去noteに書いた)
トレードやレンタル移籍によって、新たなしのぎ合いが生まれ、スポーツの醍醐味は維持される。エキサイティングなゲームが増えれば、すなわち、全体が活性化する。そんなことも多分にあるのだ。
ただ、スポーツ以外の世界は違った。「これまで」は。
ライバルがいるから成立するスポーツと、いわゆる他のビジネスマーケットは、力学が違う。ライバルは減ったほうがいい競争世界だから、誤解を恐れずにいうと、いなくなってくれるだけありがたい(本当はありがたくないと思ってるけど。ユーザーもいなくなっちゃうから)
ただ、なんとなくの先入観や、誰かがつくったルールで、スポーツのような清々しい世界にはなっていない。ザンネンだなぁ。
10年ほど前、リーマンショック後に、トレードやレンタル移籍というサービスを考えてたなぁ。ライバルが減ったほうが良い競争世界だから、僕の脳みそでは、どうしてもモデルを成立させられなかった。断念したのを思い出した。いま思うと、そのときはまだ浅くて、どうしてもやりたかったわけじゃないんだろうな。
「競争」から「共創」へ
これからのビジネスの在り方は、実はビフォーコロナから少しずつ変化していたと思う。単に、コロナによって、アフターの世界が10年ほど前倒しになっただけで。
結論から言うと、「競争」から「共創」になる。
チーム(会社が新しい在り方の組織になるのでチームと呼ぶ)という形で、市場内で切磋琢磨するのは続きつつも、チームという箱を超えて、グループ?リーグ?(市場・全体)活性化という視点が不可欠になる。その視点がないチームは、つまるところファンがいなくなる。そう思うんだ。
今回、アソビュー代表の山野さんが発信してくれたことは、本当に大事だし、アイデアで留めずカタチにするのがすごい。そして手前ミソだけど、それに対して、カタチで動いたランサーズ代表の秋好もすごい。起業家ってすげぇな。
チーム(会社)も違えば、競技(業界)も違う。でも「自分たちの信じたカタチで社会をよくするんだ」というのは一緒。だから同志。同志なら助け合いながら、切磋琢磨し合いながら、ときにはただふざけ合いながら、そうやって進んでいくもの。まさに共創。
これからは、こういうカタチがレアではなくフツーになるんだと思う。
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おまけ:共創によって競争力をアップする新しい経営のカタチなら