好きな曲の好きな歌詞の話
キリンジ-スウィートソウル
キリンジ(KIRINJI)は高校生の頃から聴いていて、最近また再燃してきてるのですが、色々好きな曲・好きな歌詞とかがあって、その好きさの熱量が気分や時の流れのなかで変化していく中、僕はこの曲「スウィートソウル」をひとつだけ心の中に、大切に飾り続けているような感覚があります。キリンジの曲は沢山好きなものがある中でこれだけは特別自分にとってかけがえのない曲のような気がします。初めて聴いた時から曲の細部まで余すことなくずっと好きで、僕の人生にとって出会えたことが貴重な曲のひとつだと思っています。
そして、特に2番冒頭のこの歌詞がすごく好きで、ここを聴く度に僕は本当に泣いてしまいます。
この箇所は「運命」「惑星」など、一見すごくロマンチックに、壮大な世界を描いているように映る歌詞かと思います。しかしここでは、「いくつかの小さな矛盾」について、それを行動や説得の理由にする訳ではなく、ただ個々人に「ある」ものとして描かれており、ロマンチックに映るようでいて実はとても現実的であり、壮大なイメージとは裏腹に単に人間一人の内にて完結していることに過ぎないのです。何か壮大な、真理に迫るような姿を見せるこの発露は、結局は「こんな夜には」という、人間の気まぐれさの結実として現れる。そのスケールの小ささが、だからこそある種の真理性や普遍性を帯びた形で音に乗って、こうして人の心に沁みるようになっているのが心底素敵だと思います。誰しもの心のありのままを肯定しすぎるでもなく、ただ黙って抱きしめてくれているようで、ずっと大好きなのです。
この曲を書いたのはキリンジの代表曲「エイリアンズ」を書いた堀込泰行です。彼の曲の凄みには、こうした感性の豊かさから来る情景と写実の優美さがあると思っています。感性そのままを歌詞にすることが出来るので、掴みどころがないながらに心地良さを感じさせる歌詞、文字で描かれる絵画のような具体性を持って目の前に現れる歌詞、どれもが彼の曲を好きになった人々の心を掴んで話さない力を持つ曲になりうるのだと思います。(対して兄の堀込高樹は物語の語り部として展開される歌詞としての面白さ、扱える幅の広さ、及びジャーナリズムが強みだと思っています。特に「千年紀末に降る雪は」はスウィートソウルと並んで初めて聴いた日から今に至るまでめちゃくちゃ好きな曲なので、この曲の話もいつかしたい!)
これ以上書くのはちょっと本筋とズレる気がするし、何よりも当たり前ながら音楽は色んな人に聴いてもらって初めて個々人にとって煌めき出すものだと思うので、これを読んで多少興味を持ってくれた人はもちろん、俺のこの文をなにこいつwwwwと思った人も皆一度この曲を聴いて欲しい!本当にいい曲だから
あと曲に限らずでいいから、皆も好きなことを拙くてもいいからそのままに話すことにも変え難い楽しさがあると思うので(ただ話さないことにも楽しさはあるので、本当楽しいと思える人だけでいいけど!)自分のためにでいいから、こういう好きなことを、ダラダラとしててまとまらないままでもいいから勝手にどんどん話して欲しいです!オススメです!
拙文すんません!
それでは皆さん、行ってらっしゃい!!
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