マイノリティの吐露を間に受けすぎて爆死
脳みそが暇な年は8月終わり頃の過ごしやすい空気とともに憂鬱な気分が始まる。
秋特有の生命が死に向かうような気配に当てられて、日々の意識が冷静なところに落ちてきて、そのまま沈んでいく。つまり脳みそが暇だと感受性が豊かになる。
発達障害による働き辛さとパワハラ的な扱いでいよいよ限界を迎えそうな顔つきと言動になっていた同僚のことが心配で声かけたら3時間の吐露を受けた。
その重さにむしろこちらが悶々としていたが当の本人は話してすっきりしたのかすっかりケロっとしている。限界間近のポンコツから元気そうなポンコツに戻っていて、ムカつくので顔面蹴り飛ばしたい気持ちになった。
元より彼とは相性が悪いのかよく怒ったり反発されたりしているが、元気そうにしてる姿そのものが腹立つというのは初めてで自分でも驚いてる。秋の憂鬱が背中を押してくる。
私も相当に身勝手な心中で、あんな重たい話を3時間も聞いてこちらはその後も真剣に考えてなかなか寝付けない日々が続いていたのに本人は話したらそれで済んだかのよという徒労感?話してすっきりするなら過去に絶ったという友人知人の1人でも大切にして自分のご機嫌くらい自分で取ってくれ、あの時間はなんだったんだという徒労感?
自分でご機嫌がとれず苦しさや当てつけから破滅的な選択を取りそうな人に慌てて手を差し伸べたはいいが、それを受け取って消化しきれなかったら駄々こねる自分の傲慢さ。
直視しがたく醜い気持ちが渦巻いて、秋の空気に後押しされてとにかく気分が落ちる。
他人に言ったら、そもそも相手の話を間に受けすぎでは?との見解もあり、確かに言葉の持つ抽象性を忘れてまんま受け止めすぎたかもしれないとハッとする。皆んな、本当は同じ辞書なんて持っていないということを忘れていた。
彼に取っては日常的な苦悩のちょうど振れ幅の大きいところにあっただけというだけなんだろう。毎月生理くるけどちょっと今月はしんどい、程度の日常。
それに重みのある話を吐露された側の心情を想像しづらい特性の人間なのだから仕方ない。
が、いかんせん他人なので理解は出来ない。
だから、いざすっかり忘れましたという顔されるとなんだかムカつく自分の傲慢さ。
「あんまり人の気持ちは分かりません…」と何度も発していた言葉の実質的なところを目の当たりにしている最中。おそらく、そういう人もいるんだね、と穏やかに遠くから見守ることが正解。
ほんの少しでも元気になって良かったね。と心から言える人間になっていたかった。
5年後、そういう人もいたなあ、くらいに、他人とは精神的な距離を置きたい。