末端価格。
地元美術館の仕事で、絵本作家さんのインタビューの撮影をしてきました。
夏に彼が個展を開催するためのプロモーションの一貫で、実際にイラストを描いているところの撮影はとても刺激になりました。
デジタルじゃなくガッシュでガシガシと筆で描き進めるのはとても気持ちが良さそう。リアルタイムで色が混じっていったり、乾く過程の質感はデジタルではないものですよね。
どちらかというとデジタルは描く行為のカタルシスよりも、出来上がっていく過程が変化するカタルシスの方が大きい気がします。
☆ ☆ ☆
さて、今回の仕事はかなり予算の限られた中で撮影と編集をします。一緒の友人と、自分たちと先生のギャラはどれくらい違うのかと笑いながら仕事してました。
撮影する側ではなくて撮影される側になりたいものだとも思ったりもします。だって、報酬が高いですし。たぶん中心に近づくにつれて上がっていくんでしょうね。末端の報酬が低いのは世の常です。
かといって、報酬の大きさだけで仕事を選ぶのはいかがなものか。いつの間にか、仕事の目的が変わってしまうような本末転倒なことは結構あります。
例えば、テレビ放送なんかは、一番報酬を得るのは主役の出演者、次がプロデューサーやディレクターで、カメラマンや照明、録音は後の方なんじゃないでしょうか。ですがカメラマンは、別に主役の男優になりたいと思わない気がします。
それよりも、カメラマンとしてどうやったら高い報酬を得るかを考えますよね、たぶん。技能を向上さる練習をしたり、より良い仕事の機会を得ようと営業したり。
本当は俳優になりたいんだ!というカメラマンでしたら、この限りではないですが。
つまり、職業的に末端じゃなくて、たぶん個人の能力で末端から脱出するべきなんだと思うのでした。