私とはどんな人間なのか
自己分析を兼ねて簡単に自己紹介をさせていただきます。
しかしながら、まず大前提として、私という人間には二面生があり、尚且つ自己像と他者からの見え方に相当な乖離があるはずだと言うことをご承知ください。
読者の皆様のイメージが湧きやすいよう、まず私を一言で表したいと思います。
うーん、そうですね。なかなか難しいですが、一つ選ぶとすれば『マゴチ』という魚であるように思います。
少しばかり残っているであろう名誉のために言わせていただきますが、決して外見的特徴を表しているわけではありません。ちなみに、外見だけでいうなら、鰯辺りがしっくりくるのではないかなと自負しております。
彼らの特徴の一つに、<敵に遭遇すると踊るように逃げ回る>という習慣があります。
これはまさしく私の事であり、私が私たる所以ではないかと思っております。私は目の前に困難の壁が立ちはだかれば、道化師の如く軽やかに逃げ回り、その先にまた壁が現れれば、それらが私の視界から消えるまで踊ることをやめません。
大学生だった頃、私は突然<大学に行かなければ進級ができない>といった困難にぶつかりました。その頃の私からすると、途轍もなく大きな壁であるように感じられ、大した努力もしてこなかった経験がついに身を結んだのでしょうか、私は大学に行くことをやめてしまったのです。
初めのうち、母はどうにか私を大学に行かせようと試みておりました。しかし、その努力虚しく、私は休学という逃げ道に逃げ走ったのでした。
それからは順調に坂を転がり落ちるばかりで、当時の交際相手であったMを理由に、早く働きたい。と自分に言い聞かせ、晴れて工事現場作業員として就職。真面目に週6日、体を酷使しておりました。
それから約1年が経ったころ、有耶無耶にしていた休学の話は簡素な封筒にペラ一枚の紙で言い渡された除籍通知と共に私の元へ舞い戻ってきたわけです。
今思えば、大学に登校するという行為よりも、現場作業員として週6日、体を酷使する方が圧倒的にしんどいことは明白であり、どう考えても自身の選択は間違いであったと思わざるおえません。しかし、結果的にこの辛い仕事は3年間継続し、当時はそれほどまでに登校するという行為が嫌であったのかと我ながら感心する一面もありました。
また、極論ではありますが、それらの経験が無ければ現在のこの思考は無いのではとも思っております。
このように、愚かなエピソードをあげればキリがない私ですが、それらの経験から少しずつ、本当に少しずつ学び、成長しているのであります。
今では世の中の学歴フィルターなるものに愕然とする毎日を送っておりますが、あの頃の選択には一つの後悔もない、わけがない。
とすれば、私が後世に残していけるものは一つ。これらの愚かな失敗談であると考え、私のような愚かで親不孝なマゴチ達をこれ以上大海に放つことがないよう、このノートに残そうと思った次第です。