イギリス人ジョン・レディー・ブラック(John Reddie Black)は、『日新真事誌』の発行などによって日本の新聞紙の歴史に名前を刻む一人である。
そのブラックが書いた回想記『ヤング・ジャパン』に初期の新聞の受容をめぐるもどかしい話が出てきて、印象に残っている。1872年ごろの話。
新しい新聞の売り込みにブラックが色々な店を回っていたときのこと。
文中に出て来る、ダ・ローザ氏は、フランシスコ・ダ・ローザといい、ポルトガル人で、ブラックの邦字新聞発行に力を貸した人物である。幕末に来日しており、横浜で新聞発行の経験を持ち、日本語にも堪能であったという(浅岡 邦雄「「日新真事誌」の創刊者ジョン・レディ・ブラック」『参考書誌研究』37号(1990年3月)による)。
ブラックはほかにも新聞について知ってもらう努力を重ねていて、たとえば品川駅などをはじめとした場所に新聞の掲示板を建て、実物を人々に見せようとしたらしい。駅に人が集まることにいち早く着目したあたりに、英国人らしさをみる研究者もいる(奥武則『ジョン・レディ・ブラック』など参照)。
それにしても、新聞は1つ買ったら十分で、何で毎日買わなければならないのかという素朴な疑問は、新聞の当たり前を笑い話にできた時代のエピソードであろうが、大学生など多くが新聞を読まなくなった今、このような話もやがて意味が通じなくなっていくのであろうか。妙に印象に残る個所だ。