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日本がまだ新聞を知らなかった頃

イギリス人ジョン・レディー・ブラック(John Reddie Black)は、『日新真事誌』の発行などによって日本の新聞紙の歴史に名前を刻む一人である。

そのブラックが書いた回想記『ヤング・ジャパン』に初期の新聞の受容をめぐるもどかしい話が出てきて、印象に残っている。1872年ごろの話。

新しい新聞の売り込みにブラックが色々な店を回っていたときのこと。

番頭の一人がいった。
「そうそう旦那様、新聞をごらんになったことがありますよ。どこかで、ご自分で手に入れていらっしゃいましたよ。『日新真事誌』ね、ほら、覚えてらっしゃるでしょう」と。
すると主人は「ああ、そういえば、持っていた、ここにある」といい、一枚を差し出した。
それから、主人はこの新聞の発行、載っている外国からの面白いニューズについて、いくらか、お世辞を述べた。
これほど、この新聞の値打ちを認める人なら、確実な購読者になるだろう、と私たちは思った。ところが褒め終っても、定期購読者になることについては何もいわなかった。
そこで、ダ・ローザ氏が、「そんなにお気に召したのなら、年極めの購読を申し込んでください」といった。
「どうしてですか」と主人が効いた。「私は一つもってるのですよーそれ以上、いりますか?」
「ええ、あなたは一日の分を持っているのです。この新聞は毎日発行されるのです」。
「わかっています」と主人は答えた。「だが、すでに一つ持っているのに、どうして毎日取らなきゃならないのですか」と。
番頭がみんな笑った。明らかにその言葉を、素晴らしく気の利いた一撃と思ったのだろう。
ダ・ローザ氏が説明しようとしたが、小僧が彼の代りにいった、「旦那様、あなたはちっとも、おわかりにいなってませんね、これは毎日同じ記事じゃありませんよ。前の日の記事を載せて、毎朝届けて来るのですよ。いつも、新しいことが載ってるのですよ」と。
「なんだって?」と主人は疑わしげに、眼をむいて、たずねた。「こんなにたくさんある記事が毎朝変って、新しくなるのだって?そんなことは出来っこないよ」と。そして、「自分では購読しないが、欲しい時には、取りつけの本屋に買いにやらせる」といった。
こういう普通の知恵を持った裕福な人が、このように、新聞の用途について、全く無知だということは、想像出来なかった。

ジョン・レディ・ブラック著、ねずまさし訳、小池晴子訳『ヤング・ジャパン』3巻(平凡社東洋文庫)p.195-196

文中に出て来る、ダ・ローザ氏は、フランシスコ・ダ・ローザといい、ポルトガル人で、ブラックの邦字新聞発行に力を貸した人物である。幕末に来日しており、横浜で新聞発行の経験を持ち、日本語にも堪能であったという(浅岡 邦雄「「日新真事誌」の創刊者ジョン・レディ・ブラック」『参考書誌研究』37号(1990年3月)による)。

ブラックはほかにも新聞について知ってもらう努力を重ねていて、たとえば品川駅などをはじめとした場所に新聞の掲示板を建て、実物を人々に見せようとしたらしい。駅に人が集まることにいち早く着目したあたりに、英国人らしさをみる研究者もいる(奥武則『ジョン・レディ・ブラック』など参照)。

それにしても、新聞は1つ買ったら十分で、何で毎日買わなければならないのかという素朴な疑問は、新聞の当たり前を笑い話にできた時代のエピソードであろうが、大学生など多くが新聞を読まなくなった今、このような話もやがて意味が通じなくなっていくのであろうか。妙に印象に残る個所だ。

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