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松沢裕作『日本近代社会史』

松沢さんからいただいた。

講義録をベースにされたとのこと。こういう講義を聴ける学生さんたちが実に羨ましい。社会集団と市場の関係を主としながら、教育やメディアにも目配りされており、さらにメディアの全国化という流れのなかで、私の「誌友交際」論までを「自由民権運動期とは異なるメディアのあり方」(p.204)として丁寧に紹介いただいていて、恐縮しきり。

気になったことの一つ目は「社会史」というときの「社会」の捉え方に関して、松沢さんやっ同世代の研究者の間である特徴が共有されているのではないかということ。本書冒頭で「社会史」について、「残余の歴史」であると同時に「全体史」であるという二重の意味が説明されるが、松沢さんの場合、それに加えて構築主義的な考え方から「社会」を捉えようという視点が、従来の社会史研究に比べて非常に強いように見える。

「「経済」という領域の切り取られ方や、その位置づけそれ自体が歴史的に形成されてきたことについて考える機会をもつことは、「経済学」を学ぶ者に少なからぬ意味をもっている」(あとがき、p.259)

このようにあとがきにも述べられていることから、特にこのことは印象に残った。やや唐突かもしれないが、「社会」の捉え方について、私は筒井淳也氏の名著『社会を知るためには』とも通じるものを感じた。

二つ目は、時代区分の仕方。かなり意識的に近代日本=「十九世紀後半から、およそ第一次世界大戦の開戦まで」「明治維新から半世紀ほどの時期」(p.8)と限定的に規定されていて、この時代が「その後の日本社会の「初期設定」となったもの」(p.12)であることが強調される。同時に「明治期日本社会の構造」(p.12)との表現も見られるので、近代日本と明治期日本のニュアンスの違いにどの程度開きがあるのかな?とは思った。

その他、個別の点に関わるものとして、近年研究が活発なところでもあるので、明治30年代の宗教者(仏教者)たちと社会という論点は、実は「社会史」という領域でも、意外に独立した章が成立するのではないか…と考えたりした。

近年の成果を丁寧に学生に伝えていく上では格好の文献であることは間違いないので、折に触れてゼミ生たちに宣伝をしていきたい。

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