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新四国借款団と新聞の論調
久保田さんからいただいた。さすがの生産力。圧倒される。
まとめられたご研究が二十一か条要求までだったから、さらに続きという位置づけであろう。
新聞の議論は特にメディア史の観点から興味深く拝見した。
1920年の対中の新借款団結成において世論が無視できなくなっていたこと、注3、4に上げられた文献のように中国問題と日本の新聞との関係で研究が進展している部分があることなど、勉強になった。
新借款団結成に前後して、各紙の論調の統一のなさが確認できることや、朝日が論調を変化させたことというのは、それ自体興味深い現象に思える(p.77)。というのは、米騒動ならびに白虹事件後のジャーナリズムという論点があるはずだから。
原内閣下ではあるが、朝日新聞などでは当時、そこまで強硬な政府批判が可能だったのか?という疑問もわくし、打撃を受けた朝日の論調が、政府に追従していくというのは、この時期の説明としては、まあそうなのかなと思えるものだった。
久保田さんは旧外交から新外交へという第一次世界大戦後の外交史の変化の枠組みから新聞論調を捉えようとしているのだけれど、関東大震災以後に向けて、日本の新聞自体が大きな曲がり角にさしかかっていたので、そういった双方の変化を見ながら調べていくと、さらに面白い論点が見つかるのではという気がした。