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中根重一のこと

夏目漱石の岳父・中根重一(1851-1906)、東京書籍館勤務経験があった(身分は雇)というもの。永井久一郎(荷風の父親)館長補の下でどうもドイツ語の洋書の整理をしてたらしい。

ドラマ漱石の妻では舘ひろしさんが演じていて、教員をやめたい漱石が帝国図書館に就職できませんかね?と斡旋を頼んだところ「あんなところはやめておけ」と一蹴するシーンが、関係者(私含む)の涙を誘ったわけだが、まさか本人に勤務経験があったなんて…。

秦郁彦『日本近現代人物履歴辞典』によれば

医師開業を経て 明8.3東京書籍館並博物館雇 10.1辞職 10.6新潟県雇 14.7辞職 15.3太政官御用掛(後略)

とある。この博物館は、科博の源流のほうである。
『国立科学博物館百年史』に彼の名前が登場する。

東京書籍館は6月18日付で書籍掛として採用した中根重一を、9月19日付で東京博物館雇に雇い替えし、引き続き東京書籍館の書籍掛を兼務させるという処置をとった。(中略)両館共通の事務を担当する職員のみならず、中根のような専門業務を担当する職員についても便宜的に兼任発令や雇い替えを行ったのは、開館したばかりの東京書籍館の方へ勢力を集中する必要があったためであり、このようなことは両館が同居していたので容易に出来る事であった。

『国立科学博物館百年史』p.54

その他では、あまり名誉な登場の仕方ではなく、防湿材として入れるべき薬品を間違えて陳列中の医術機器に赤錆を生じさせてしまい、なおかつその修繕に非常にお金がかかってしまったということで、進退伺を館長事務取扱に出しているというものであった(『国立科学博物館百年史』p.33)。

結果、中根は「不注意」でけん責処分を受けているが、それ以上はよくわからない。

東京書籍館は明治10年2月に閉館となるが、中根はそれより前に退職しているようだ。

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