即興小説15分 30 空中に浮かぶバスターミナル 未来の通貨カード 記憶を売った少年
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2000年代に生まれた私もずいぶんと歳を取り、体のあちこちを痛めている。青春を彩ったスマートフォンもいまや過ぎ去った流行の一つとなり、いまでは手に埋め込まれた電子チップによって日常のほとんどのことが行われている。無論、人工知能の発達も著しく、街中のあちこちで高度なAIが搭載されたロボットが仕事をしている。
人間の仕事が取って代わられたそんな時代の中、価値とされるようになったのは人々の記憶だった。電子チップによって脳の記憶を読み取り、そしてそれを売買できるようになったのだ。人々は記憶を売り買いし、それが新たな娯楽として流行している。
かくいう私はその記憶を買取、売る、そんな仕事をしていた。記憶の扱いには専門的な知識が必要なのだ。少しでも扱いを間違えれば、大事な記憶があっというまに消え去ってしまう。記憶の保管、そして人々への移動には細心の注意を払っていた。
今日も客がやってくる。自動扉をくぐってやってきたのは少年か青年か、どちらとも言えないような年齢の人だった。うつむきがちで陰気な雰囲気をまとっているその人を、カウンターの前へ座らせる。
「買取ですか?」
「はい。記憶を売りたいんです」
こんなにも若い人がくるのはめずらしかった。人生経験の浅い若者のうち、高値で買い取ることができるような濃厚な記憶を持つ人はなかなかいないからだ。
「どんな記憶でしょう?」
「虐待です」
なるほど、と思った。私の元にもそのような買取を希望する人は稀にやってくる。娯楽としては価値の低い記憶だが、研究機関へ提供すると喜ばれる。
「いくらになりますか?もうバスに乗れるお金もないんです。ここに来るので全部使い切ってしまいました」
なかなか厳しい境遇にいるらしい。
「金額は記憶を読み取ってから鑑定いたします。その前に、注意事項を。記憶を失うと、人格に影響が出ることがあります。特に幼少期の記憶は危険性が高いです。それでも買い取りますか?」
「はい。お願いします」
即答だった。嫌な記憶は基本的に価値が低いが、こうして忘れるために利用する人も多い。
「では手をかざしてください」
電子チップの入った少年の小さな手のひらに、自分の手を重ねる。こうすることで、一時的に相手の記憶を自分のものにできるのだ。特殊な訓練を受けていなければ、この作業には耐えられない。時として膨大な量となる記憶を処理するには技術が必要なのだ。長年、この仕事をやってきている身だが、少年の記憶には思わず顔をしかめた。
顔を上げると、少年はぱちぱちと瞬きをして、そしてぱあっと顔を明るくした。
「ああ、もう覚えてない!」
打って変わって嬉々とした表情の少年に、金額を提示する。さきほどと同じように電子チップを重ね合わせ、そして支払いを終えた。
「ご利用ありがとうございました」
「はい!こちらこそありがとうございます!」
飛び跳ねるような勢いで少年が店を出ていった。