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『ポールプリンセス!!』

『劇場版 ポールプリンセス!!』を観てきた。

異常なほど面白かった。なるほどストーリー自体は一足跳びに進んでいってテンポが早すぎる感が否めない。情報としては必要最低限だが情緒のためには必要最低限以下、といった超速展開なのだが、裏を返せば感情面は全部ポールダンスでやるという気概で潔さすらある。
個人的には必要なところだけ抜き出して早く見せ場に行きたかったのだろうと思って特に不満もなく、「君らが観たいのはポールダンス、私らが見せたいのもポールダンス。そうだね?」的なメッセージを勝手に受け取っていた。
実際、ダンスが凄い。なんだあれ。なんでこんないいのかわからん…………が、めちゃめちゃ良い!


『ポールプリンセス!!』はシャニアニの映画を観たときに予告として流れてて知って、ツイッター(現:X)のタイムラインで魂を灼かれている人間が多々いることで興味をもったのだった。その過程で、モーションキャプチャで動画を撮っているからこの動きはフィクションではなく実在の人間ができるものだ、という話は先んじて仕入れていた。
あらかじめちらっと動画を見た中でも、凄い人ならできるだろうなという実感があった。というのも高校生の頃にやたら木登りにはまっていたからだ。安定した棒状のものに体重を預ける際のバランスや勢いをつけて体を持ち上げる重心移動やその時に踏ん張る筋肉の部位なんかが感覚的によく分かるという特殊な事情がある。
それゆえに、体を支えるにあたって最も信頼できる「手」をポールから離すという豪胆さには痺れるものがある。他方で、体の部位をうまく組み合わせて支点と力点と作用点とを作り出してバランスをとることが筋力に頼ってしがみつくよりも遥かに安定するため、綺麗に形が決まってしまえば手を離せることもよく分かる。
が、その形を固定するための膂力はかなり要求されるはずで、膝裏とかを支点にし始めたのには目を引ん剝いた。身体を支えられるだけの安定を(ポールを掴む以上に)発揮すべく実現されたバランスには独特の快感が存在する。膝裏などのトリッキーな部位を使っていながら、客観的に見ても安定しているというところに、美しさにも似た凄みがある。
身体を支えるための姿勢を維持するのにまず相当な体幹の力が必要で、そのうえで身体を空中に吊って支えるだけの力も要求される。特にキメのポーズではそもそも常人にはとれない姿勢であったりもするのだから、かなりの筋力と柔軟性とがなくてはできないはずだ。たしか作中でスバルを指して「女の私から見てもかっこいい」という発言があって、この業界では女はカワイイよりカッコイイなんだなぁと思った。初めはそーなんだという程度だったのだが、いざ高度な柔軟性が要求される技を目の当たりにすると、これはたしかにカッコイイと自然に口に出るわなと思った。


ストーリーがパフォーマンスに効いてるなと思ったのは、やはりリリアとスバルのデュエットだ。というかストーリーのパートで山場っぽいのは二人のやりとりとヒナノの過去くらいしかない。
スバルの方が技術面では上だが、トラウマを抱えるスバルの精神的な支えとして相方であるリリアの存在感が出ている。しかしリリアが一方的に支えるというよりも、リリアだからこそお互いに支え合う間柄として成就しているという感じ。そういう関係性であることがパフォーマンスにも表れていた。歌い出しすぐに「この手は絶対離さない」という歌詞があるのも、一方が他方を支えるのではなくお互いがお互いを支えるという二人の同意がパフォーマンスの土台であることをよく示している。自分だけでなく相手を支えることでポールの上に存在するとは、王道すぎるほどにデュエットらしいコンセプトであろう。
途中に片方が歌って片方がポールダンスを演じるというパートがそれぞれについてあったが、スバルの方がダンスの動きが多くポールに絡む頻度も高かった。また二人でポールを扱うパートについても基本的にはスバルの方がポールの上側を担当していて示唆的だ。技量面ではスバルがリリアを引っ張るかたちで支えている様が表れている。土台の上に積み上げるならば下側が支えになるだろうが、おそらくポールでは上側から吊るかたちで身体を支えるため、上側にいる人間が支えになる。
スバルが手を滑らせたとしても手を伸ばす存在としてリリアが支えになる一方で、技量面でスバルがリリアを支えてもいるわけで、ここにおいて「お互いを支え合うデュエット」としてのパフォーマンスが完成している。表現が上手い。


他のパフォーマンスだってどれもこれも好きなのだけれど、特に好きなのがいくつかあるのでかいつまんでコメントしていきたい。まずは東坂ミオ。
最初から最後までめっちゃくちゃかわいい。ついさっきカッコイイとか言ってたのになんなんだよという感じなのだけど、もうすごいかわいい。
マーメイドでパフォーマンスを通していこうという軸が一本通っている(ポールだけに)のがまず美しい。東坂ミオはコスプレイヤーという話なので、何かになりきるという自分のフィールドで表現しているのもポイントが高い。ダンサー自身を反映している演技になっているのが素晴らしいのみならず、「何にでもなれる」衣装作りという武器を持っていた彼女がパフォーマンスという第二の変身手段を手に入れて使いこなしているのが激アツい。
パフォーマンスとしてぶち抜かれたポイントは後半らへんにあった演技。上側で足をポールに絡ませて下に頭がくるような姿勢になる。これ多分なんだけどそもそも難易度が高い。ポールに掴まって姿勢を維持するなら上から身体を吊る方が自然で、手が下にくると腕にかかる力は引っ張り方向ではなく押し上げる方向になる。いわば雲梯にぶらさがるのと逆立ちをするのの違いだ。前者の方が長時間できる楽な姿勢で後者の方がしんどい。大腿筋というでっかい筋肉がやってることを腕で代わりにやらなければならないのだから、それはしんどいに決まっている。のみならず逆立ちは重心をとらえて体幹を崩さないためのバランス力も要求される。こう考えてみると、ポールの下側に頭が来る姿勢は、たとえ足でポールを挟んで負重を軽減しているとしても、握った手にかかる力は相当なものであると思われ、目を見張るものがある。
と、このようにそもそも難易度が高いことが想像される姿勢だが、単に外から見るだけではそれほど華はない。ポールに平行になっているだけに見えなくもない。が! そこで心底驚かされた。そのポーズのときにミオを下からのアングルで撮ることで「海底へ潜っていくマーメイド」として仕上げていたのだ。技術的に優れているにもかかわらず一見地味になってしまいかねないポーズが、パフォーマンスとしてしっかり山場になっていたことに打ち震えた。


どのパフォーマンスについても感じたことだが、CGの使い方が上手い。実際にできる動きを十全に輝かせるために演出として組み込まれている。今にして思えば、ダンサーからすれば真下に向かう姿勢はさながら海に潜っていくかのようである、と感じるのは自然なことなのかもしれない。だが、それを誰にも伝わる仕方で表現できるのはアニメーションの強みなわけで、アニメとポールダンスとが協調的であり、ポールダンスそのものの魅力を軸としてアニメを作っているのを感じられるのがとても嬉しい。CGで一番見応えがあったのは蒼唯ノアのパフォーマンスだった気がする。これもかなり好きなのだけど、自分自身の趣味の範囲で超好きだったので公に向けた文章で何か言うことはちょっと難しい。(あのヤバさはこれ以上語ることなくない……?)としか言えないというか。
これはAILE D’ANGE全般に言えるかもしれない。GALAXY PRINCESSはストーリー性を上乗せして魅せてきたのに対し、AILE D’ANGEはひたすらにパフォーマンスの力で示してきたというか。デュエットの方で、上から回りながら降りてきて下の人間の中におさまる例のアレとかとんでもない。改めて王者の風格を感じる。
ところでAILE D’ANGEという名前はDANCEにかけてるのかなーくらいの印象だったのだが、よく見たら「天使の翼」だ。ポールの上で軽やかに力強く舞う彼女らに似つかわしい。かっこよ……


ヒナノのパフォーマンスは映画におけるフィナーレ的なポジションで、それにふさわしい見応えがあった。個人的にはポールから手を離して極めるポーズがすごく好きで、たぶんなんだけどパフォーマンスの最後で手を離して終えたの他になかった。この辺の記憶ははっきりしないんだけど、圧倒的なインパクトがあったのはたしかで、翼が背中に生えている演出にしていたのがうまかった。ポールの上端付近で手を離している姿は重力に囚われていないかのようであったし、手を離す代わりに中空で身体を保つためにポールを抱くような格好になっているのはさながら天使であった。厳かさに思わず涙してしまった。
後から配信サービスでMaking Shine! の歌詞見て気づいたことだが、曲があまりにもポールダンスの主人公だ。「私だけが握ってるヒカリで」とか「雲を蹴って空に舞うんだ」とか、ポールダンスをやっている人間だけが真に歌にできる言葉たちが並んでいる。なんてこと……


触れていないダンスもあったりするのだけど、昨日の今日で出した感想がだいたいこんな感じになる。結局なんでこんなすごいことになっちゃってるのかわからないのだけど、めっちゃめちゃ面白かった。
なんで60分しかないの。全然足りない。本当にもう一回観たい。

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