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わたしの世界を旅する-コーカサス発トルコ経由南欧行(4)


ツバメのよく鳴く朝だ
朝の町はとても静か
日本の街路のきれいさがジョージアに来て際立った。ジョージアは、少なくとも日本の報道ではアジア諸国のように貧困といった観点で語られることはないように思える。ただ、所得や産業からすれば豊かとはいえないだろう、またその成長という面から見ても、インドなどと比べてどうだろうか。なぜか、個別塾で教えていた数人の生徒のことを思い出す。その生徒たちは、あまり目立つタイプでもなく講師に間違いを聞くこともなく、なんとなく成績も上がらないけれど通い続けていた
北の方へ来ると、気のせいかタバコを吸う人が増えた
半地下の住居はもぬけの殻で、壊れたガラスが散乱している。一方で新しいオフィスもできている。住居の壁は建築依頼修復はされておらず、所々にレンガが抜け落ちていたり、ひび割れている。おちているフンは、残飯をあさっている野良犬だろうか。
今日もトビリシは、雨は降らないがすっきり晴れもしないどんよりとした天気だ。山に囲まれたこの大きな盆地で、日差しの強烈な、突き抜ける青空の快晴の日があるのだろうか。

6月19日:昨日ツーリストインフォメーションで教えられた、北に7㎞ほどあるDidube駅の前にあるバスターミナルに行き、各方面へのバスについて情報を仕入れに歩いた。これくらいの距離なら物見遊山ついでに歩くのだった。

バラック屋根のバザールが無秩序に立ち並んでいる。乗り合いバスの窮屈な長旅の前に何か一つ買っていこうか
教会の鐘が時折鳴る。駅に電車が来るアナウンスが聞こえる。タクシーの運転手は半分だけ開けた助手席のドアから足を出して話している。おじさんがタバコを買わないかと隣に立った
この場所がトビリシで一番盛りあがっていた。「クタイシ!!クタイシ!!」と行先をミニバスの客引きのおじさんたちがひっきりなしに叫び、目が合えばお前はどうだと聞いてくる。カズベギ、クタイシそしてバトゥーミが多いみたいだ。ただ実際はその最終目的地に行くまでにいくつかの街や場所で停車する(そのルート上であればどこでも降りることができるだろう)。旧ソ連圏でこういった乗り合い(ミニ)バスのことはマシュルートカというようだ(ずっとマシューカだと思い込んでいた)。この激しい客引きの風景は、しかし、他国のバスターミナルでもよく見られる風景だった
タバコの匂い、入れ替わりの激しい車やバスのクラクションの音、マシュルートカ運転手たちの大きな声。ポロシャツからお腹が出ている小太りのおじさんが、重そうなリュックを背負ってバスの出るのを待っている。狭い歩道に置かれた段ボールと木組の上に大量のバナナとトマトが並べられている。トマトは日本の夏の爽やかな赤色ではなく、すこし黒みがかっていた。電信柱には、もはや字の消えたチラシや張り紙がまるでミイラのように何重にもぐるぐる巻きに貼りつけられている。灰色の大きなゴミ箱には分別もしないで大量のゴミが捨てられていて、2日くらい収集されていないみたいだった。黒海のリゾート地を目指す人々に、浮き輪やビーチボールが売られている。その色一つとってもここが日本でないことを感じることができた。バスターミナルはまさに旅の音で溢れるばかりで、うるさいんだけれど初めてだったこともあって、自然と笑みがこぼれた。私は今、また旅の中にいるのだと
あと一人乗れば出発というバスでは皆が自分を見ていた
鉄骨がむき出しの歩道橋の階段の前には乞食が通りすがる人に何かの恵みを頼んでいた
大自然の絶景やきれいな中世風の街並みもいいけれど、旅が終わりふとした瞬間に脳裏に浮かぶのは意外とこういった風景だ。

 バスターミナルでは、カズベギとバトゥーミ行のバスについて情報を得ることができた。ただし、早朝深夜以外は大体人がそろったら出発する、という予想通りの発車の仕方だった。ただ、今日の人の数を見る限り、すごく長い時間まちぼうけ、ということはなさそうだった。

壊れそうなアパートのベランダから手を伸ばして洗濯物を女性が干す
リードを付けないで犬の散歩をする飼い主も多い。毛並みは野良犬よりはましだ。八百屋の店頭には、じゃがいも、トマト、スモモのような果物、さやいんげんの大きいやつ、ベリー類、スイカ(?)が並べられている
街はアッパーサイドとロウワーサイドに分かれている。車は右ハンドルも左ハンドルもどちらもあるみたいだ。市バスはISUZU
川べりに釣り糸を垂らしている老人がいて、そこから少し離れたところに、中くらいのバケツを垂らしていた。その中身をのぞき込むとたくさん小さな魚が入っている。老人と目が合い親指を立ててグッドサインをした
Bill  Withersの”Lonely Town, Lonely Street”を口ずさむ
昨日行くのをやめた教会では今日も結婚式のようなものが開かれていた
手から川魚の匂いが消えない。こんなに外国人が絡んでくるのは見慣れない日本人の特権だろうか

トビリシで有名な温泉(公衆浴場)に行ってみようかと、メテヒ教会のあたりに戻ってきた。その入り口の辺りで昼から一杯やっている若者たちがいて、遠くにいる自分を大声で呼んでいた。近づくと、どこから来たんだ、奢るから一緒に飲もうといった。彼らは三人組で大学生だった。シシャモのような川魚をつまみにウォッカを飲んでいた。坂の上に見える建物の二階から顔を出した知り合いのおばさんに愛してるよと投げキッスをした。たどたどしい英語でFワードを言った。その内の一番酔っぱらった一人が、自分の一眼レフを貸してくれと言った。他の二人が大丈夫、絶対に悪いことはさせないからというので貸すと、自分に向けて何枚もシャッターを切った。あとから見ると全然ピントが合っていなかった。彼は、いよいよ酒が回って自分や友達にも悪態をつくようになった。ウォッカは確かに強く喉が熱くなった。しだいに金をくれ、と何回も言うようになって、いよいよ面倒なので帰ろうかと思った。他の二人は最初、自分の名前を言って、本当にごめん、恥ずかしいよ、実際にもらったりはしないから、と言っていたが、最後には、今日のタバコ代だけでも恵んでくれないかと言った。少しお金を置いてその場を離れた。
 彼らはもちろん日本人(アジア人)に対して見下したり差別したりしなかった。しかし、日本が経済的に豊かであることに対する見方には諦めと羨望のようなものがあった(一眼レフの値段をドル換算でいうと彼らは驚いた)。言葉の端々にそれがあって、実際は国と国の経済規模の違いなのに自分と彼らの間に越えられない隔たりがあるような気になった。次の日は早かったので、帰路についた。

ドミトリーのルームメイトは、不敵な笑みをいつも浮かべている、ケビン・スペイシーにどことなく似ていなくもない男で、アメリカ出身ですかと聞くと”アメリカなんて最悪だ”と言った。国を聞きにいくのはよくない。彼はロシア出身で、ウクライナ戦争によるロシア入国規制で、祖国へ戻れなくなってしまったらしい。日本のアニメが好きで、他にも特に能が好きだと聞いて、何も説明できなかった。もう一人に、日中はずっと寝ていて、夜になるとジョージアの女の子を探しに行くアメリカ出身若者がいて、いろんな旅の目的があるものだと
チーズナンはしょっぱい。鶏肉にズッキーニを和えた意外とさっぱりとした料理と一緒に、表通りへと続く前の安い食べ物が買える最後の店のような食べ物屋で買う



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